アメリカではトランプ政権が本格的な動きを見せ、異例とも呼べる政策の数々に世界全体が翻弄されている。慰安婦問題の焦点となっている少女像(改めて慰安婦像)の撤去を巡る問題は金と道徳では決して解決できない重大な問題であり、竹島問題も踏まえ日韓関係は悪化の一途を辿るばかりである。こういった社会問題の背景でデモ活動(ュプレヒコール)の存在は無視できない。現にアメリカでは大統領選挙を境に大規模なデモ活動が、韓国でも日本政府に対抗するデモ活動が日常的に行われている。これは海外に限った話ではない。2011年の東日本大震災の福島第一原子力発電所事故はそれまで原子力発電の恩恵を受けてきたはずの人々も含めた数万人単位でのデモ活動が行われた。 安全保障関連法の集団的自衛権への抗議デモも記憶に新しい。これらはほんの一部で世界が抱えてる国際問題は山のようにある。国が違うから、文化が違うから、価値観が違うからこそそれらは簡単に解決できるものではなく長い目で見ていく必要がありそうだ。こんな現代にたまたま産み堕とされた私たちはこんな世界でどう生きていけばいいのだろう。何を考えて、何を訴えていけばいいのだろう。そんな不安が東日本大地震の混乱でピークに達した時、RADWIMPSから突如届けられたのが「シュプレヒコール」というドキュメント性の強い一曲であった。

2011年『絶体絶命』発売の2日後に東日本大地震が発生し、崖っ淵の精神状態で全国ツアー『絶体延命』を何とかやり遂げたRADWIMPSは1年半というスパンを経て突如、ニューシングル『シュプレヒコール』のリリースを発表した。3.11の直後、野田洋次郎は特設サイト『糸色-Itoshiki-』を立ち上げたかと思うと、2012年にはYouTubeで新曲「白日」を発信した。これまで野田洋次郎が書いてきた独自の死生観とはまた違う、更に別次元のスケールで展開される「シュプレヒコール」は過激でありながら何処か平穏に訴えかけてくる震災を経たRADWIMPSの新しい境地でもあった。先述した原発事故のデモ活動に野田洋次郎は自らガスマスクを被り参加している。その様子は「シュプレヒコール」のMusic Videoからも観ることができる。野田洋次郎は自らデモ活動に揉まれた事で何を思ったのか?この楽曲を聴けばその心中に迫ることができそうだ。"右向け右の号令に 正気を失った万歳に しわくちゃになったまま 明日を迎えにいくよ" この一節は正に率直なデモ活動への思いではないのか。この楽曲は何処かでシュプレヒコールに対するアイロニーでありながらも、膨大な歌詞が注ぎ込まれたRADWIMPSなりのシュプレヒコールなのだと思う。力強いアンサンブルが爆音で鳴らされる堂々としたシュプレヒコールは欺瞞に溢れ、裏も表も分からなくなった世界を暴く事で強烈なインパクトをリスナーに与えるのでる。しかしここで唱えられたシュプレヒコールは決して後ろ向きなものではない。常に前を向いている。こんな世界に、こんな時代に偶然産み堕とされた運命と己の生涯をかけて向き合っていく覚悟に満ち溢れた楽曲である。この楽曲が発売されてから今年で5年になる。国際問題と様々な情報が絶え間なく飛び交い、不安定な毎日を過ごす私たちにとって今まさに必要なのがこの曲なのではないだろうか。平和と退屈の差が分からなくなった今だからこそ響くものがあると思うのだ。5年前の楽曲だからなんだ。年月なんて関係ない。恐ろしいくらいこの楽曲は2017年の現代社会を風刺している。そしてこれから向き合うべき未来を指し示してくれている。アルバム未収録の為、メジャーな楽曲に比べたらなかなか話題にあがる事が少ないこの楽曲。だからこのブログを読んで、気になった方には是が非でも一度聴いていただきたい。たまたま生み落とされ、たまたま罪を犯してしまった私たちがそこにはいるはずだ。(やまだ)


(RADWIMPS「シュプレヒコール」Music Video)


【余談】何故 "シュプレヒコール" はニコニコ動画で公開されたのか
この「シュプレヒコール」ですが発売日が迫った7月28日にニコニコ動画にて「RADWIMPS「シュプレヒコール」をニコ動にアップしてみた」というタイトルで48時間限定の動画が公開されました。Music Videoではありません。黒い背景に歌詞が淡々と表示されるだけのシンプルなものです。余計な演出がないので歌詞を読みながら楽曲を堪能することができます。斬新な試みだったとは思うのですが一つ疑問なのが、何故ラジオOAもなく完全にベールに包まれてた楽曲の公開をYouTubeではなくニコニコ動画でしたのかという所。歌詞の内容がかなり政治的で過激であった上、公開方法が特殊だったのでネット上では賛否両論でした。僕からするとこの賛否両論こそRADWIMPSの狙いだったのではないかと思うのです。いや、分かりませんよ?僕の単なる想像です(笑)ニコニコ動画の大きな特徴は再生中の映像にコメントをつける事ができる点だと思います。コメントが荒れ溢れかえる図はどこかシュプレヒコールの過激で超アッパーな世界観に一致しませんか?僕は何となく似たものを感じるのです。まぁ想像でしかないのですが……。ただ確実にニコニコ動画を選択した事には理由があったと思うのです。これだけは断言できます。4ヶ月前に突如公開された「白日」の公開サイトがYouTubeだった事が何よりの証拠です。そこからもRADWIMPSが「シュプレヒコール」に託した想いを掬う事ができそうです。以上、余談でした。