1997年、Mr.Childrenが活動休止前にリリースしたアルバム『BOLERO』。前作『深海』ではコンセプトの違いからアルバムに収録される事がなかったシングルが収録され、全12曲のうち5曲がシングル曲。そしてそのシングルのCD売上がどれも100万枚を超えているという派手さだ。それ故にこのアルバムは"寄せ集め"と評されやすい。確かに94〜95年の大ヒット曲が詰め込まれては企画盤のような印象を受けるのは当然とも言えよう。そんなアルバムから今日で20年という月日が経つようだ。因みに筆者はこの『BOLERO』の翌年に生まれた身なのでこの20年という月日の重さをひしひしと感じきれている訳ではない。ただの後追いリスナーの意見として『BOLERO』について書いていこうと思う。

94年『Atomic Heart』でヒットチャートに殴り込みを見せたMr.Childrenは栄光を手にしながらも桜井和寿は現実と理想の狭間で苦悩しながら深海へ沈んでいく。泡沫に包まれながら沈んでいく桜井和寿が語り出した内省的な独白はいつの間にか曖昧な"君"という存在からシーラカンスに向けられたものへすり替わる。「連れてってくれないか 連れ戻してくれないか」死に逝く者はそうシーラカンスに嘆きながら物語を終えていく。

『BOLERO』でMr.Childrenは深海から脱出した訳ではないという事はこのアルバムを聴けば一目瞭然だろう。どこか投げやりに詰め込まれたヒットシングル達が目眩しにならない程、このアルバムもまた内省的であり病的に繊細である。「タイムマシーンに乗って」「傘の下の君に告ぐ」のような棘のある社会風刺のナンバーが強烈なインパクトを与えるのは事実だが、それらは同時にポップスである自らの否定であり『深海』の傷は殆ど癒えていない。そしてアルバムの核を担っている「ALIVE」という曲を書かなくてはいけなかった程に限界が近づいていたのだ。"生きている"という思考は逆算すれば死に対する強い認識が顕著に表れている。鬱々とした打ち込みサウンドと現実に夢が混在しているような歌詞。「やがて荒野に花は咲くだろう」というフレーズに呼応するように『BOLERO』のジャケットには広々とした一面の花畑に向日葵が咲いている。その図はどこか幻想的であり、深海で見た桃源郷のようにも思える。

退屈なヒットチャートにMr.Childrenから置き土産のように送り込まれた今作は『深海』を大きく上回りトリプルミリオンを達成した。それはやはりシングルが5曲も収録されているという企画盤のような内容に大衆が飛びついたからであろう。筆者の意見としては『BOLERO』を単なる寄せ集めと捉えるのに抵抗を感じてしまう。このアルバムで見せたMr.Childrenの音楽性の振り幅は勿論だがここで語られた幻想と現実が混ざり合った歌詞からは「ALIVE」以上の核の存在を感じざる得ない。終焉を迎えながらもどこかで常に"明日"を意識している。『BOLERO』に収録された楽曲の多くから断片的な"明日"が垣間見える。ひたすら"明日"を模索した『BOLERO』が最終的に導き出した答えは「Tomorrow never knows」ーー。仮に『BOLERO』が単なる寄せ集めなのだとしても、そうでなくても、Mr.Childrenはリスナーが想像してる以上の化け物なのかもしれない(やまだ)







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