4人が奏でる予測不能なサウンドと野田洋次郎(Vo.)が紡ぎ出す独創的な言葉数で多くの人々を翻弄し続ける唯一無二のロックバンド、RADWIMPS。2005年のメジャーデビュー以降、物凄い勢いでロックシーンの最前線に躍り出た彼らはカリスマ的な地位を確立しながら急速に支持者を増やしていった。「人間とは何か?」「自分とは何か?」人間にとって最も本質的な問題にフォーカスした革新的な歌詞は繊細で、過激で、美しく、リスナーを唸らせる。
RADWIMPSに「オーダーメイド」という楽曲がある。この曲は野田洋次郎が一貫して歌ってきた死生観の1つの終着点でもあった。2008年の1月23日にリリースされたこのシングルでバンド初となるオリコンチャート1位を獲得した。個人的にRADWIMPSの最高傑作だと思っているのだが、そんな『オーダーメイド』のリリースから今日で丸10年を迎える。この記事では少しではあるがこの曲に対する想いを綴っていきたい。
今回のブログでは詳細を話すと長くなるので思い切って省くがこの「オーダーメイド」が完成するまでの道のりは決して容易いものではなかった。2007年にバンド内でメンバー間の衝突があり、RADWIMPSは公にはせずとも一時的な活動休止を余儀なくされていたのだ。この「オーダーメイド」はそんな渦中で産み落とされた楽曲であり、この曲が発表された後もバンドの危機的状況は続いて行くのだがそれはまた別の話。
この「オーダーメイド」では僕と自分を創り出す誰かとの対話で終始ストーリーが展開する。生まれる前に誰かに欲しいものを尋ねられた僕はそれを受け入れながら、時には拒否しながら自分自身を創造していく。「生きることとは何か?」「人間とは何か?」哲学的で漠然としたテーマを歌ってきた彼らのベクトルはこの「オーダーメイド」でも狂うことなく一貫されている。ただ大きく違うのは僕だけの世界で完結しているという点だ。それまで野田が作ってきた歌は全て自分の好きな人に向けたものであった。だからこそ彼の書く詩は常に妙にリアルな側面を持ち合わせている。僕と君というパーソナルな世界だけで先述したようなテーマを昇華していく凄さがRADWIMPSの歌詞にはあるのだ。だから「誰も端っこで泣かないように君は地球を丸くしたんだろ」とか「僕が木星人で君が火星人だろうとたかが隣の星だからワープを使おう」とか歌えちゃうのだ。それに対して「オーダーメイド」は個人の果てしないイマジネーションで構築された空想の物語である。
きっと僕は尋ねられたんだろう 生まれる前どこかの誰かに
この曲の歌い出しが「きっと」である以上「オーダーメイド」はフィクションの域を出ない。僕と造物主との対話とは表面的な表現であり、事実を突き詰めれば壮大な自問自答とも捉えられよう。野田洋次郎がよく雑誌のインタビューで「自分の書く歌詞に自分自身が導かれる」という旨の発言をしているが、彼にとって作詞作業とは己を知る為の作業であり「オーダーメイド」はそんな探究心が生み出した傑作と声を大にして言いたい。
「望み通り全てが叶えられているでしょう?だから涙に暮れるその顔をちゃんと見せてよ誇らしげに見せてよ」そもそも自分の現状に満足して何の悩みも葛藤もなく生きてる人なんているのだろうか。いたとしても極一部だろう。恐らく誰もが悩みや不安、葛藤や矛盾を抱えながら生きている。そんな状況下で「今の自分は生まれて来る前に自分でオーダーメイドしたものなんです」と自分を肯定できるものなのだろうか。なかなか難しいとは思うがRADWIMPSは歌ってみせた。この曲を野田洋次郎が某雑誌のインタビューで「自分にとっての宗教なようなもの」と言っているように、この曲は彼にとっての救済だったのかもしれない。人間を愛し、裏切られ、絶望し、それでも誰かを求めて「生きること」への問いと答え。楽曲に込められた救いは現代社会で生きる人々の心の拠り所として必然的に機能し今日まで鳴り続けている。僕もこれを読んでいるあなたもそんな音楽に触発されながらオーダーメイドを繰り返しているのかもしれない。
RADWIMPSはシングル『オーダーメイド』を発売した半年後にこのシングルを提げて突如11ヶ月ぶりのワンマンライブ『オーダーメイドライブ@沖縄』を開催した。このライブはメンバー間の衝突から解散という局面まで追い詰められたRADWIMPSにとって決起集会的な意味合いを持ち、まさにRADWIMPSという生命体のオーダーメイドそのものだったのだ(やまだ)
(RADWIMPS「オーダーメイド」 Music Video)
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