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  RADWIMPSにとって9枚目のオリジナルアルバムとなる『ANTI ANTI GENERATION』が昨年の12月12日にリリースされた。“第2のファーストアルバム”と謳われていた前作『人間開花』から2年という彼らとしては比較的に短いスパンで放たれた今作はバンドとして初となるゲストを招き入れてのコラボ曲が収録されるなどセンセーショナルな作品となった。そして何よりも着目すべきは彼らがアルバム製作と並行しながら4枚のシングルを発表し国内とアジアを回るツアーを行うなどこれまで以上に外発的な活動を展開しコンスタントに音楽を届け続けた事だ。

  映画『君の名は。』で大躍進を遂げても尚、安泰した場所で音楽を鳴らす事はしないというロックバンドとしての意思表明。そしてただアンチテーゼを掲げるだけの“ANTI GENERATION”に対してのアンチという2つの想いが込められた今作のアルバムタイトル。彼らは何故そこにこの17曲を必要としたのか。

  音楽集団としてかつてない無双状態に突入したロックバンド、RADWIMPSの拡張期を象徴する超大作『ANTI ANTI GENERATION』を全曲レビューという形式で僕個人の視点から徹底的に紐解いて行く。




Anti Anti overture

  今作の作曲はギターの桑原彰とベースの武田祐介が行い、野田洋次郎はディレクション程度でしか介入していない。故意か偶然かRADWIMPSのアルバムはイントロが無い楽曲から始まる作品が多い。というより殆どがその傾向にあると言っていい。(アルバム『RADWIMPS』の「人生出会い」,『RADWIMPS 3〜無人島に持っていき忘れた一枚〜』の「4645」,『RADWIMPS 4〜おかずのごはん〜」の「ふたりごと (一生に一度のワープ Ver.)」,『アルトコロニーの定理』の「タユタ」,『×と◯と罪と』の「いえない」,『人間開花』の「Lights go out」などなど)

  今回のアルバムで唯一のインストゥルメンタル楽曲となっている「Anti Anti overture」はアルバムの冒頭に置かれたイントロダクションとなっていて、彼らとしては新たな試みである。1分20秒に渡って流れる不穏な電子音は聴き手によってはライブでのサウンドエフェクト的な捉え方をした人も少なくはないだろう。「どんな曲が来るんだろう」という次曲への期待を募らせる大きな役割を担っている。


tazuna

  「Anti Anti overture」から間髪入れずに野田洋次郎のボーカルが入る「tazuna」。西洋的なストリングスと心地良いウッドベースが印象的なこの楽曲の着想は『人間開花』の製作時から既にあったようだ。

君が何も言わず指差した星に僕が名前つけるからさ 二人で毎晩育てよう》といった具合にファンタジックな世界観で“僕”が“君”に抱く想いが淡々と語られるのだが、そもそも何故タイトルが「tazuna」なのか。因みに歌詞に手綱というワードは一切登場する事はない。自分はこの楽曲を何度か聴いているうちに「tazuna」とは“僕”と“君”を精神的に繋ぐものの比喩なのではないのかという考えに至った。

《あぁ 僕らはどこからこんなとこに来たのかな / 間違わぬように毎日明日に相談して今日まで来たのに》アルバムを再生して最初に飛び込んでくるこの歌い出しのニュアンスから“僕”が現状に対して不満を抱いているようにも受け取れる。そしてラストはそんな現状を良しと思えるのは“あなた”=“君”がここに居るお陰だと締め括る。それを踏まえると“君”が手綱を引き締める事で生かされる“僕”という実に野田洋次郎らしい幻想的な世界が浮かび上がるのだ。


NEVER EVER ENDER

  アルバム『ANTI ANTI GENERATION』の世界観が一気に拓かれるEDM調のアッパーチューン「NEVER EVER ENDER」。前作『人間開花』を彷彿とされるような煌びやかなサウンドとストレートな歌詞が印象的なのだが、この楽曲もアイデア自体は2017年頃からあったようだ。2017年で思い出すのはColdplayにとって初の東京ドームでの来日公演『A HEAD FULL OF DREAM TOUR』にRADWIMPSがゲストアクトとして出演した時のことだ。「NEVER EVER ENDER」のEDMの要素を取り入れたサウンドは何処かColdplayを彷彿とさせ、当初この楽曲の歌詞が全て英語で書かれていた事を考えるとColdplayのゲストアクトを務めた経験が少なからず影響しているのではないかと思う。これはあくまで僕の推測だが。

  野田洋次郎もアルバムの中で最も気に入っている曲としてこの楽曲を挙げており《昨日までの世界は脱ぎ捨てて / いざ僕は大海へ旅に出る》というサウンドに導かれるように出てきたというこの日本語の歌詞は後ろを向かずに前だけを向いていたいという決意の表れであり、RADWIMPSの軸が『人間開花』以上に頑丈で強固なものになっていると確信付けた。


IKIJIBIKI feat. Taka

  今回のアルバムを語る上で決して欠かす事が出来ないのはRADWIMPSとしては初めてとなるゲストボーカルを招いてのコラボ楽曲の存在。この「IKIJIBIKI」で参加しているのはあのONE OK ROCKのボーカルリスト・Taka。これがもう凄い。期待を裏切らないとは正にこの事。いや寧ろそれ以上のものが来たと言える。今回のアルバムの中では随一のバッキンバッキンなロックチューンに仕上がっている。現在のスタイルとは違った昔の自分のスタイルにフォーカスして歌ったというTakaの思惑通り何処か懐かしさを覚えるアグレッシヴな歌声は「俺にTakaの声があったらこんな風に歌いたい」と野田がイメージして書いた歌詞を圧倒的なスケールで体現している。
  
  バンドメンバー同士が兎にも角にも仲が良い事で有名なRADWIMPSとONE OK ROCK。彼らに纏わるエピソードは数多くあるが近年のトピックを取り上げるなら2015年に行われた『RADWIMPSの胎盤』にONE OK ROCKが招かれたり、収益を九州地方の被災地に寄付する事を目的に糸色-Itoshiki-で配信リリースされた「バイ・マイ・サイ」にTakaが参加したりなどかなり親密な関係性が垣間見える。

  2018年の2月頃に野田がTakaにコラボの話を持ちかけた事が始まりで、当初はこの楽曲の他にバラード調の楽曲と全英詞の楽曲が渡されていた。因みにこの「IKIJIBIKI」自体は(2018年の時点で)5年前から存在していた物で、そのため今作のドラムは現在休養中の山口智史が叩いている。そう、言及すべきはこの四つ打ちのドラムである。

  2010年代のバンドシーンを振り返ってみると4、5年程前に“4つ打ちダンスロック”というムーブメントがフェスシーンを背景に巻き起こっていた。あの頃に出てきたKANA-BOONやKEYTALK、フレデリックなどの若手バンド達は揃いも揃って4つ打ち&裏拍オープンハイハットでリズムを刻んでいた。ただそんなフェスシーンでのトレンドも時代の流れと共に薄れ、今やKANA-BOONもKEYTALKもフレデリックも4つ打ちダンスロックから乖離していっている印象を受ける。だからこそこのタイミングで4つ打ちや8ビートなど汎用性の高いドラムを避けてきたバンド選手権日本代表のRADWIMPSがこれをぶち込んで来るとは夢にも思っていなかったので腰を抜かしてしまった。そこにTakaという武器が加わってしまったのだから鬼に金棒。いや、もう鬼に鬼


カタルシスト 

  今のRADWIMPSのスタンダードとも呼ぶべき楽曲はこれなのかもしれない。そんな事をアルバムを聴きながら思った。RADWIMPSの公式Twitterが「カタルシスト」が初公開された頃にRADWIMPSの新章と謳っていて、その時は表現が大袈裟なのではないのかと思ったものだが、このアルバムでようやくその真意が分かった気がする。

  RADWIMPSにとって通算22枚目のシングルとなった『カタルシスト』。表題曲の「カタルシスト 」は2018年フジテレビ系サッカーテーマ曲に起用された。今作ではRADWIMPSとしては初となるシングルを携えての国内ツアーを開催。その直後にはバンド史上最大規模のアジアツアーも行われた。順風満帆にも見えるその一方でシングルのカップリングとして収録されていた「HINOMARU」の歌詞が物議を醸し、結果的に表題曲である「カタルシスト」が薄れてしまうという事案が発生した。

  この楽曲は2017年の12月にRADWIMPSが『君の名は。』オーケストラコンサートで憔悴した身体に鞭打って決行した合宿レコーディングで製作された。「ビートミュージックにバンドの音を重ねていく、そうなった時に君のアイディアは何がある?っていう提示。俺が見えている今のビートミュージックとバンドの融合の形にひとつの筋道を立てたかった」音楽雑誌のインタビューで「カタルシスト」について野田はそう語っていたが、その点でこの楽曲は画期的であり前衛的だったと思う。

  世界的に見てもポップミュージックの主流がヒップホップになっている現代。そんな時代の中で“ロックバンド”で在り続ける事への圧倒的な自信とプライド。RADWIMPSはそんな時代性にアンチテーゼを掲げるのではなく、ヒップホップとロックバンドの接着地点を見出そうと試行錯誤を繰り返した。「カタルシスト」はその第一歩と言えよう。

  僕があの時に見た“RADWIMPSの新章”という一文は決して大袈裟だった訳ではなく、その記念すべき第一歩を鮮明に映し出していたのだ。

(RADWIMPS「カタルシスト」Music Video)


洗脳(Anti Anti Mix)

  2017年にリリースされたRADWIMPSとして通算20枚目のシングル『サイハテアイニ / 洗脳』に収録された「洗脳」をアルバム収録用に新しくミックスし直した今回のバージョン。シングルに比べて間奏やアウトロにかなり音が足されているのが分かる。因みにこの両A面シングルに関しては当ブログでも2年前にコラムを出しているので良かったらそちらも→【コラム】RADWIMPS ニューシングル『サイハテアイニ / 洗脳』を聴いた!人間とはその“二面性”である

  この楽曲の原型となるものが今から5年程前には「‘I’ Novel」と同時期に製作されていて、実は休養に入る前の山口智史のドラムがサンプリングで曲中に使われている。仮タイトルは「宗教」。そのタイトル通りこの曲では1人の男が宗教にのめり込んで転落していく様が生々しく攻撃的に描かれており、そこに重厚なグルーヴが加わる事で聴き手に強烈なインパクトを与えるドキュメンタリー性の強い楽曲だ。

  この楽曲がシングルとしてリリースされた当時は「サイハテアイニ」があってこその「洗脳」だと思っていた。他者との間で生じた差異を肯定する「サイハテアイニ」とシニカルに否定する「洗脳」。実際、あれは両A面シングルという形式だった為「サイハテアイニ」と「洗脳」を抱き合わせて考えるのは必然的だったのだが、オリジナルアルバムではそうは行かない。何せ「洗脳 (Anti Anti Mix)」が6曲目なのに対して「サイハテアイニ」は16曲目なのである。東京と和歌山くらい離れてる。マジで。それなのに「洗脳 (Anti Anti Mix)」がアルバムで一切浮いていない。寧ろ自然に溶け込んでいるでは無いですか。「サイハテアイニ」があってこその1曲と思っていたのは僕の思い過ごしだったのかも知れない。


(RADWIMPS「洗脳」Music Video)


そっけない

全国のラジオ局でこの楽曲が初公開されたあの日から僕はこの楽曲にゾッコン状態である。好きだ。とにかく好きだ。比喩ではなく本気でこの曲しか聴かない日もある。ピアノを基調とした野田洋次郎の弾き語り、メロウな桑原のギターソロ、艶っぽい空気感を包み込む武田のウッドベース。そのメロディに乗せられた言葉の1つ1つが本当に切なくて、不器用で、もどかしい。一言で言ってしまえばズルい曲。この楽曲についても昨年にコラムを書いたので良かったらそちらも→【コラム】RADWIMPSの新曲「そっけない」は全然そっけなくない

  この楽曲が完成した当初は野田自身が歌うつもりは毛頭もなく他のミュージシャンへの楽曲提供が検討されていたという。最終的にはスタッフの猛プッシュによりRADWIMPSとして発表する事に到ったのだが、吉澤喜代子さんとかどうですかね?吉澤喜代子に「残ってる」という朝帰りをする女の子の心情を歌った曲があるのだが、あの楽曲で流れている空気感と似たものを「そっけない」からは感じるのだ。

  野田洋次郎の書くラブソングは“僕”と“君”というパーソナルな関係性を超主観で哲学的に思索的に解釈し壮大なスケールで展開させていくのが特徴だと思っているだが、その点で言えばこの楽曲の歌詞は何処か恋愛を達観しているように感じる。これまで恋愛の渦中や終盤を描いてきた楽曲が多かったのに対し、ここで歌われているのはあくまで恋の入り口であり、それ故に「そっけない」はRADWIMPSのラブソングを更新する新たな名曲として機能している。

  アルバムの曲順を見ても「そっけない」はかなり面白い位置にある。「IKIJIBIKI feat.Taka」→「カタルシスト」→「洗脳 (Anti Anti Mix)」とかなりヘヴィなナンバーが続いてからの「そっけない」…と思いきや次曲からこのアルバムで最大の問題作が待ち構えているサンドウィッチ状態。やはりその辺の構図もRADWIMPSは確信犯的にやっているのであろうか。


(RADWIMPS「そっけない」Music Video)


< 宿題発表 -skit- >

  次曲「PAPARAZZI 〜*この物語はフィクションです〜」のプロローグ的な意味合いを持つ1分程度のSKITがここで挿入される。小学校の女教師が子ども達に対して『お父さんのお仕事』という作文を書くようにと宿題を課すのだが、これの提出期限がなんと翌日までというこの鬼畜さ。鬼すぎる。何ならパパラッチより鬼だろこの先生。絶対に「宿題まだ終わってないからぁ〜」って歌う生徒が現れるって。


PAPARAZZI 〜*この物語はフィクションです〜

  緻密なトラップビートのトラックに乗せられたリリックでマスコミに対する殺伐としたアンチテーゼを掲げるRADWIMPS史上屈指の衝撃作PAPARAZZI 〜*この物語はフィクションです〜」。先月にはリリックを全て英詞にした「PAPARAZZI 〜*この物語はフィクションです〜 (English Ver.)」なるものが全世界に向けて配信リリースされた。

  予め断っておくが僕はこの楽曲があまり好きではない。この楽曲の構造自体が個人的には腑に落ちないのだ。確かに一人称でひたすら相手側に怒りをぶつけるのではあまりに芸がない。だからこそこの楽曲は3者の視点から立体的に描かれる。父親の仕事について質問をする純粋無垢な子どもと日々著名人のゴシップを狙う仕事をしている雑誌記者である父親の会話に野田が怒りを露わにしてアイロニカルなリリックで踏み込んでいくという今作の構図。

  だからこそ生じる欠点がある。例えば父親が子どもに《父さんは胸を張って生きてる 求められるからやっている / 父さんの仕事を楽しみにしてる人のために頑張るよ》と説いている場面。それに対して野田は《「求められるからやっている」?すごいね神様みたいだね》と切り込み《恥ずかしくないと言うのなら隠れず盗まず生きてろや / 目を見て話ができなくて何が堂々と生きてるだ》と吐き捨てる。

  忘れないで欲しいのは雑誌記者の父親の言い分はあくまで野田の想像だと言うことだ。相手の主張を憶測で仕立て上げて、それを理詰めで追及していくのは論破でも何でもない。あり得ない話ではあるが例えばこの楽曲を書くに当たって野田が実際に雑誌記者を職業にしている人間に話を聞くなどしてリリックを書いていたなら素直に飲み込めたと思う…。
  
  タイトルには「*この物語はフィクションです」と添えられながらも、楽曲の着想としては(2018年の時点で)4、5年ほど前。野田にまだ恋人がいた頃にマスコミに何年も苦しめられたという実際の出来事がベースとなっている。今作のリリックに『君の名は。』に関するエピソードが登場するが、それ以上に野田が抱いた憎悪の根は深いと思われる。

  こういった楽曲を受け取った僕らがすべき事は野田洋次郎と一緒になってマスコミを糾弾する事でもなければ、これでこそロックだ!と称賛する事でもない。自分はこの楽曲があまり好きではないと言ったが、この楽曲が届けられた意義は十二分に感じている。カメラを持っていれば私生活の盗撮も盗聴も“仕事”と呼べてしまう世界が確かに存在する事実を真剣に考えなくてはいけない。ゴシップの記事もミュージシャンの音楽も第三者の立場から享受する事ができる僕らに「PAPARAZZI 〜*この物語はフィクションです〜」の全ては託されているのだ。


(RADWIMPS「PAPARAZZI 〜*この物語はフィクションです〜」Music Video)


HOCUSPOCUS 

  今回のアルバムの中では恐らく最もデッドストックである期間が長いのがこの楽曲。デモが制作されたのが(2018年の時点で)9年前という事で時期としては『アルトコロニーの定理』の前後である。確かにエッジの効いたギターのリフや技巧的なアンサンブルからは昔のRADWIMPSを彷彿とさせられる

  何と言っても「HOCUSPOCUS」の凄さは9年も前のデモの掘り返しにも関わらず、今のRADWIMPSが掻き鳴らす『ANTI ANTI GENERATION』の1曲としてしっかりアップデートされている所だ。イントロのエフェクトやヴォイスサンプリング、打楽器のサンプリングなどの細かなギミックが楽曲中の随所に散りばめられており試行錯誤の跡を垣間見る。


万歳千唱

  ミュージシャンが18歳世代から寄せられた想いを元に楽曲を書き下ろし、全国から集った1000人の参加者と一緒に共演し一度きりのステージを作り上げるNHKの『18祭 (フェス)』という企画特番の為に書き下ろされたこの楽曲。今を生きる18歳世代に向けてRADWIMPSは何を想い、何を届けるのか。そしてそれを受け取った1000人の18歳世代とどのような化学反応を起こすのか。そんな一生に一度限りの奇跡のような青春の瞬きを克明に記録した『18祭』。こちらについても当ブログでコラムを掲載しているので良かったらどうぞ→【コラム】RADWIMPS 新曲「万歳千唱」と「正解」で投げかけた18歳への問い

  番組内ではフィジカルな部分でも楽曲を表現したいという思いつきからボディパーカッションが取り入れられ楽曲を盛り上げたが、今回のアルバム収録ではカットされている。その他にもコーラスの大半はカットされてしまっているのだが、サビでの掛け合いの部分などでは『18祭』のコーラス音源が使用されている。個人的には楽曲の終盤《君の笑顔にさせてやろうぜ万歳三唱 万歳千唱》という箇所で見せた1000人のソウルフルな大合唱が印象的だったので、そこの音源が使われていたのは嬉しく感じた。

  
(【18祭】「万歳千唱」RADWIMPSと1000人の18歳、魂のステージ)


I I U

  今回のアルバムの中では少し異質な空気感を持ったラブバラードなのだが、野田自身はこの楽曲については多くを語らず、タイトルの読み方も解釈もリスナーに任せるというスタンスを取っている。アルバム発売後に野田は公式HPにこの楽曲の簡単な和訳を掲載している。RADWIMPSの過去の楽曲「me me she」にタイトルの構造が似ている事からこの楽曲との関係性を訊かれる事があるらしいが、それにも「謎は謎のままで」と閉口している。

  因みに「I I U」というこのタイトルの読み方は便宜上で「アイアイユー」。2つ目の“I”を小文字の“L”として「アイラブユー」と読ませたり、サビが《Is it us》という歌詞から始まる事からそれの頭文字を取っての「アイアイユー」など様々な意味合いが込められているようだ。僕個人の勝手な解釈というか考察としては「I I U」の2文字目の“I”は仕切りになっていて「僕 / 君」と2人を隔てる役割を果たしているのではないかと。

  そして野田が公式HPに掲載した和訳を見て自分が感じた事は「そっけない」同様にこの曲も恋愛を達観したドライな視点で描かれているという事だ。過去に抱いていた恋愛像に想いを馳せる事で野田洋次郎の心を埋めるものは肯定か、それとも否定か。それは1人のリスナーに過ぎない僕には分からない。


泣き出しそうだよ feat. あいみょん

  昨年のヒットチャートの上位を面白いくらいに埋め尽くし、年末には紅白歌合戦の初出演を果たすという大躍進を遂げ、先月発売したニューアルバム『瞬間的シックスセンス』も大好評という正に今を生きる女性シンガーソングライター、あいみょん。

  これは個人の好みの問題として聞いて欲しいのだが、僕自身はあいみょんの音楽を聴いてもハマらなかったタイプの人間である。エッジの効いた視点から描かれる歌詞の世界観。それを具現化する抜群の歌声。そしてメロディーメーカーとしての圧倒的なセンス。そのどれもが凄いのは百も承知だが、それが自分の好みかというのは全くの別問題でございまして。ただこの楽曲に関して言えばRADWIMPSとあいみょんの親和性の高さを感じざるを得ない名バラードだと言っておきたい。このコラボが実現した背景はあいみょんのナタリーのインタビューで触れられているので気になる方はそちらをチェック。

  ジャジーでブルージーな曲調で男女の切ない心情が歌い交わされるジャズバラード「泣き出しそうだよ」。実は楽曲自体は『人間開花』の時期に製作されていて、この楽曲の他にもずっと2人でハモっているような明るいテイストの楽曲も渡していたのだが「泣き出しそうだよ」の方が音楽的に面白いという理由で最終的にこの楽曲に決定した。コラボ楽曲として唯一MVが制作されており、野田洋次郎とあいみょんが向かい合った状態でブランコに揺られている。両者の距離は遠くなる事も近くなる事もない。


(RADWIMPS「泣き出しそうだよ feat.あいみょん」Music Video)


TIE TONGUE feat. Miyachi,Tabu Zombie

  今回のアルバム製作で最後に制作されたというラッパーのMiyachiとSOILのダブゾンビをゲストに招き入れた「TIE TONGUE feat. Miyachi,Tabu Zombie」。ここで思い出すのは野田がSOIL&”PIMP”SESSIONSと2年前にコラボした「ユメマカセ」だ。あそこで培った野田洋次郎の独特なフロウが今回のコラボでも惜しげも無く発揮されている。ここまでホーンセクションを前面に押し出したアレンジは今後としてもバンドの新たな武器にもなり得そうだが。

  サビで繰り返し使われる《舌ったったったったらず》というフレーズは野田がずっと温めてきたものであり、その言葉をサビで使う事を前提にしてイントロ、Aメロが肉付けされていった。Miyachiのリリックは彼自身が書いたものでRADWIMPSの楽曲に他の誰かの詞を付けたのは恐らく今回が初めて。

  ラッパーとのコラボで思い出すのは2016年に野田洋次郎がillionとしてリリースした2ndアルバム『P.Y.L』の1曲「Highlight feat.5lack」だ。この楽曲と先述した「ユメマカセ」は野田洋次郎がRADWIMPS以外のフィールドで創り上げた楽曲だったが、そこで培ったノウハウは途轍もないエネルギーとなってこうしてバンドに還元される。アルバムの最後に完成したと言うこの「TIE TONGUE」は創作モードが続く近年の野田洋次郎の集大成的な1曲として捉えたい。


Montain Top

  昨年にリリースされたRADWIMPSにとって通算21枚目のシングル『Mountain Top / Shape Of Miracle』からの1曲。チェン・カイコー監督の日中共同製作映画『空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎』の主題歌として書き下ろされた今作はライブツアーの影響もありアジアに目が向かっていたというバンドの姿勢と見事にマッチし異国情緒の溢れる壮麗なストリングスで映画の世界観を彩った。このシングルについても過去に当ブログでコラムを掲載しているので宜しければご確認下さい→【コラム】RADWIMPSが築き上げた金字塔!新曲「Mountain Top」を聴いた!

  映画『君の名は。』でのオーケストレーションの経験がRADWIMPSとしての音楽表現の可能性を一気に広げた事は言うまでもないが、ここまで違和感なく「Mountain Top」がアルバムに溶け込んでいる事には驚かされた。『人間開花』以降の2年間でリリースされたシングルを羅列してみても『Mountain Top / Shape Of Miracle』はあまりに異質だったからだ。

  しかし今回のアルバムを通して聴くと「Mountain Top」の持つ異国風の空気感は「tazuna」と似たものを感じるし、楽曲が持つメッセージ性は故意か偶然か『ANTI ANTI GENERATION』というアルバムの軸と符合する部分があるようにも思えてくる。今回のアルバムの裏リード曲は案外この楽曲なのではないかと個人的には感じている。

(RADWIMPS「Mountain Top」Music Video)


サイハテアイニ

  RADWIMPSにとって通算20枚目のシングルとなった『サイハテアイニ / 洗脳』からの1曲。アクエリアスのCMソングとして書き下ろされた「サイハテアイニ」は疾走感あるバンドサウンドが清々しく響くロックチューンだ。リズミカルなクラップや掛け声も挿入されライブで盛り上がる事は間違い無しの1曲である。前作『人間開花』に負けず劣らずの煌びやかさを持ち合わせている為、今回のアルバムの色に合うのかと心配したのだが完全に杞憂であった。

  今思えばRADWIMPSが『人間開花』を提げて行った『Human Bloom Tour 2017』という人間的にも音楽的にも過去最高に開かれた状態で挑んだ全国ツアーの千秋楽と日を同じくしてこの『サイハテアイニ / 洗脳』のシングルはリリースされていた。次へのアルバムに向けての布石は間髪入れずに打たれていたのだ。あの時に既にこのアルバムのビジョンが見えていたのだと思うと末恐ろしい。ひぃ…。


(RADWIMPS「サイハテアイニ」Music Video)


正解(18FES ver.)

  アルバムを締め括るのは「万歳千唱」と同様にNHKの『18祭 (フェス)』で制作されたRADWIMPSとして初の合唱曲である「正解」。アルバム制作にあたって当初は別録りで200人くらいを集めて収録し直すという案もあったのだが『18祭』の完成度を超えるものは無いだろうというメンバーの判断から『18祭』での音源がそのままアルバムに収録されている。

  「よーい、はじめ」という前だけを向いた言葉で締め括られるアルバム。これ程までに前向きな結末が用意されたRADWIMPSのアルバムが他にあっただろうか。「正解」で出題された空欄に当てはまる言葉はこの楽曲を受け取った人の数だけ存在する。それぞれがそれぞれの人生で、それぞれの価値観で、それぞれの理念で、それぞれの正解を書き入れる事が出来れば良いのだ。そしてRADWIMPSがこの『18祭』を通して伝えたかったという想いはそのまま今回のアルバム『ANTI ANTI GENERATION』の一貫したテーマと繋がって行く気がするのだ。最後に総評です。


(【18祭】「正解」RADWIMPSと1000人の18歳、感動の歌声)
  


RADWIMPS『ANTI ANTI GENERATION』総評「何処か正解に導かれていく1枚」




  
  前作『人間開花』の延長線上に在りながらもより緻密に、より深部まで創り込まれた2年ぶりのアルバム『ANTI ANTI GENERATION』。今作の全貌が初めて公開された時、まず最初にとっ散らかったアルバムという印象を受けた。そして店着日に購入したCDを初めて通しで聴いた時も同じ事を思った。

  何故ならこのアルバムでは『君の名は。』以降音楽集団として開花した彼等によって音楽的なアプローチが貪欲に、更にジャンルレスにやり尽くされていたからである。サウンド面のみならず楽曲としても純粋なラヴソングがあり、応援ソングがあり、人生賛歌があり、痛烈な社会風刺があり、コラボ楽曲がありとバラエティに富んだ作品が揃っている。その情報量があまりにも多く自分の中で『ANTI ANTI GENERATION』が飽和してしまっていたのだ。

  ただ何度もこのアルバムを繰り返して聴くうちに自分は不思議な感覚を抱くようになる。とっ散らかっていると思っていた音楽たちが何処かこのアルバムの最後に置かれた「正解」に導かれているように聴こえ始めたのだ。このアルバムでは故意か偶然か“正解”に導かれるような表現を多く目にするのだが、先述したようにそれは決してリスナーに正解を振りかざすようなものではなく『じゃあ君たちはどうする?』という問い掛けのようなもの。

  成功者の参考書を読破しても、かばん一杯に先人たちの教えを詰め込んでも正解は見つからない。この先どう転ぶか分からないこの国の未来を担っている我々の世代にRADWIMPSが求めているのは有象無象にアンチテーゼを掲げる事でも、スマートフォン片手に指先で検索する事でもなく、昨日までの世界を脱ぎ捨てて自分たちだけの「正解」を模索して行く姿勢そのものなのではないだろうか。(やまだ)