FullSizeRender

  突然ですがこのブログを読んでいる皆さんに問題です。この記事のサムネイルで使用した(上に掲載した)ライブ写真はillionかRADWIMPSのどちらでしょう?

  わざわざこんなタイトルの記事なのだから当然答えはillionである。因みに説明を加えておくとこちらの写真は2018年にillionが中国最大級の野外音楽フェス『草莓音乐节 Strawberry Music Festival』に初出演した時のもの。だがそんな事情を知った上でこのライブ写真を見てもillionかRADWIMPSかなんて分かる訳がない。僕だってこの写真の出処を知らなかったら見当もつかないだろう。

  ただこれが3年前のillionだったら一目でその違いが分かったと思う。何故なら2016年にillionが3年ぶりに活動を再開し国内のフェスも含め3本のライブを行った時、野田はカラフルな髪飾りで派手な装飾を施していたからだ。その“異様な姿”は映画『君の名は。』での劇伴や『人間開花』の制作を通して着実に開いていったRADWIMPSとしての野田洋次郎から乖離したフィジカル面での差別化でもあった気がする。

相変わらず前置きが長くなったが今回のブログではそんなillionとRADWIMPSの境界線が無くなっていってる現状について正直な気持ちを書いていきたい。


RADWIMPSよりも変わったのはillion

  「RADWIMPSは変わった」この言葉をここ数年で何千何万と目にした気がする。リスナーが言い放ったそんな言葉には肯定のニュアンスも否定のニュアンスも込められていたと思う。

  そう、RADWIMPSは変わった。これはメンバー本人達も認める周知の事実である。ざっくり言ってしまえば2014年頃までのRADWIMPSとはカリスマ的な人気と音楽リスナーから絶大な支持を受けながらも楽曲のタイアップもテレビ番組の出演も皆無というガラパゴス的なバンドであった。

  だが2015年に野田洋次郎が俳優として初主演を果たした映画『トイレのピエタ』の公開や様々なアーティストを招き入れた初の対バンツアー『RADWIMPSの胎盤』の開催。そして2016年に公開された映画『君の名は。』での劇伴やメジャーデビュー11年目にして初の地上波出演などRADWIMPSというバンドは一躍その名を世間に轟かせ、僕が気づいた時にはフロントマンの野田は当たり前のように『王様のブランチ』に出演し松田龍平の横で1人爆笑していた。

  ただ幾度となくRADWIMPSに対して変わったという言葉がかけられる中で『君の名は。』の社会現象と同時並行していた野田洋次郎のソロプロジェクトであるillionに対して「変わった」という者は居なかった。単純に知名度の問題もあると思うが、僕からすれば、RADWIMPSよりillionの方が変わった

  正直もう別人。illionとしてリリースされている2枚のオリジナルアルバム『UBU』('13) と『P.Y.L』('16)を比較してみても違いは一目瞭然である。1stアルバムの『UBU』とは2011年に発生した未曾有の大震災を受けて野田の中で溜まった鬱屈とした感情のカタルシスであった。それに対して3年のスパンを置いて(意図的にスパンを空けた訳ではないが)リリースされた2ndアルバム『P.Y.L』のモチベーションとしてはillionとして国内でライヴを行う事にあり、その時期に野田が“MAX/MSP”というソフトにのめり込んでいた事やPUNPEEや5lackなどラッパーとの交友関係を築いた事が影響し音楽的な実験場としての意味合いが強くなった。もともと4曲ほどのEPを予定していたが、創作意欲の高まりから既に発表されていた発売時期を大幅に延期しフルアルバムという形でリリースした背景もある。


(illion「MAHOROBA」Music Video)


全くの“別物”であったillionとRADWIMPS

  野田洋次郎のソロプロジェクト・illionが極めてミニマムでパーソナルな動機で活動し、その時期により存在意義も大幅に変わったのは理解して頂けたとは思うが、最も重要なのはこの頃(2016年の時点)はillionとRADWIMPSの差別化が図られていた事だ。

  2016年に野田洋次郎はRADWIMPSとして長編アニメーション映画のサントラ『君の名は。』とアルバム『人間開花』、illionとして『P.Y.L』と計3枚のアルバムをリリースしている。バンドとソロワークスの活動を同時並行していればソロとバンドの違いをインタビュアーに尋ねられるのは至極当然な事でその度に野田は何度もこう繰り返していた。

音楽が生まれてくる“場所”がまったく違う

  らしい。凡人には到底理解出来ないが当の本人がそう語るのだからそうなのだろう。野田の中でillionとRADWIMPSが全く別の場所に存在するからこそ、その楽曲をどちらの名義で発表するかなんて迷う余地もない。RADWIMPSが「起きてる時間」ならillionは「寝ている時間」だと過去のインタビューで野田が語っていた記憶がある。トラックメイキングの手法も歌詞の書き方も両者ではまるで違うし、illionでの制作で得たノウハウをバンドに還元する事はあれど両者は常に対の存在であり決して交わらない。

と思っていたのだが……。
  

(illion「Water lily」Music Video)


野田洋次郎「illionはRADWIMPSと融合して来てるイメージ」僕「は?」

  昨年の12月に事件が起きた。RADWIMPSのニューアルバム『ANTI ANTI GENERATION』の初回限定盤に付いてきたメンバーのインタビュー&ドキュメンタリーが収められたDVDを煎餅を食べながら初めて観た時だ。『人間開花』発売以降に彼らが携わってきたトピックスに焦点が当てられる中でillionの話題になった。illionとしての活動も熱望していた僕は煎餅を食べる手も止めて思わず身を乗り出す。

野田「音楽的にもillionはRADWIMPSと融合して来ていてイメージとしては。だから境目が無くなってきてて、僕としては統一していい

僕「は?」

  あまりの衝撃でそこからは煎餅も喉を通らなくなってしまった。如何なる時でもillionとRADWIMPSの音楽は野田洋次郎の中で全く違う場所から生まれるものだと信じて疑っていなかったからだ。だがあのインタビューで野田は確かに言った。「僕としては統一しても良い」とサラッと口にしたのだ。

  正直なところillionとRADWIMPSの音楽的な境目が無くなっていってる事は自分も勘付いていた事ではある。2017年にillionとして映画『東京喰種』に書き下ろした主題歌「BANKA」の歌詞なんかは個人的にRAD的な側面を垣間見たし、近年のRADWIMPSの歌詞からはillion的な即興性を感じていた。実際にアルバム『ANTI ANTI GENERATION』の収録曲の中には当初illionとして発表しようかと検討されていた楽曲なんかもある。本当にillionとRADWIMPSの境界線が無くなっていってるのだ。


(illion「BANNKA」Music Video)


これからの「illion」の存在意義

  これからillionはどうなって行くのだろうか。基本的にillionが『P.Y.L』で確立した音楽的な実験場というスタンスは変わらない気はする。「illionで “このやり方新しい”、“このチャレンジ面白い” って手応えを掴んでからRADで出荷。そういう場としてはこれからも居てくれたら嬉しい」これからのillionについて野田はインタビューでそんな風に語っていた。いつの間にかillionというソロプロジェクトはRADWIMPSありきの物になったようだ。

  illionとRADWIMPSーー。そこに明確な差異があったからこそ自分は惹かれていた節がある事を認めざるを得ない。illionとRADWIMPSの境目が無くなりつつある今、そんな認識も根本的に構築し直す必要があるのかもしれない。ニューアルバムをリリースした事で創作モードに拍車が掛かっている今、しばらくは新しい試みもダイレクトにRADWIMPSでぶつけてくると僕は踏んでいる。illionは極めて能動的でパーソナルな動機がないと動いてはくれない。そんなillionが再び動き出した時は、きっと僕らに革新的な音楽を聴かせてくれるはずだ(やまだ)