史上最大の絶望を乗り越えたRADWIMPSが辿り着いた「ロックバンドである事への確かな歓びと肯定」に満ち溢れた大傑作



  メジャーシーンに居ながらも何処かガラパゴス的な立ち位置で息を潜めていたRADWIMPSというバンドが映画『君の名は。』の劇伴でその名を世間に轟かせ、メインストリームに躍り出るまでの速さは凄まじかった。持病の悪化による山口智史 (Dr.) の一時的なバンドの離脱、初の対バンツアー、長編アニメ映画の劇伴、地上波初出演、ファンクラブの開設、年末の紅白出場ーー。RADWIMPSにとって3年ぶりのオリジナルアルバム『人間開花』はそんなバンドにとって激動の変革期に生み落とされた。

  アルバム『人間開花』でRADWIMPSが過去最高に開いた事は作品を聴けば一目瞭然なのだが、その変化は決して突飛なものではない。前作『×と○と罪と』の制作を終えて今後の方向性を見失いかけていたタイミングで舞い込んできた新海誠監督のアニメ映画の劇伴依頼や他のミュージシャンのプロデュース。そしてドラマーの離脱で直面したバンド存続の危機とそれを乗り越えて挑んだ初の対バンツアー。これらのバンドを取り巻く幾つものトピックスを通してRADWIMPSというバンドは着実に開けていったのである。『人間開花』はそんな劇的な変化の必然性を感じさせるエポックメイキングな作品である。

  「おしゃかしゃま」や「DADA」に代表されるようなRADWIMPSに対してテクニカルでヘヴィーなサウンドを鳴らすバンドという固定概念を持っている人ほど『人間開花』で見せた変化には度肝を抜いた筈だ。打ち込みとバンドサウンドが混在する「アメノヒニキク」や緻密なトラックメイキングが目を引く「AADAAKOODAA」など実験的な側面も見られるが、このアルバムの軸にあるのは技巧的なリズムやアレンジなどを全て排除して淘汰されたバンドの“身軽さ”である。『人間開花』の凄さはメジャーデビュー以降、彼らが連綿と築き上げてきた“RADWIMPS像”を今一度見つめ直し、大胆な再構築を施したにも関わらず、結果的にRADWIMPSとしての品格を全く損なわらない作品に仕上がってる点だと思う。

  その最たる要因はRADWIMPSのソングライティング力の高さも勿論だが、それ以上に強い野田洋次郎 (Vo.&Gt.&Pf.) が紡ぐ言葉の存在感のように思える。今作のリードトラックである「光」では桑原彰 (Gt.) の掻き鳴らすダウンピッキングに乗せて《私たちは光った 意味なんてなくたって》と力強く歌い、「棒人間」では《僕は人間じゃないんですほんとにごめんなさい》と一向に人間になれない事を卑屈に歌いながらも最後は《何度も諦めたつもりでも 人間でありたいのです》と人間に対して最大の肯定に昇華される。また、ある少女との“邂逅”を歌い上げた「トアルハルノヒ」では《ロックバンドなんてもんを やっていてよかった》という歓びが充溢し、RADWIMPSとして歩んできた10余年の日々が初めて全肯定される。メジャーデビュー10周年のアニバーサリーイヤーでバンド存続の危機に直面し、風前の灯火となっていたロックバンドは自らが光源になる事で絶望から這い上がり、その反動で辿り着いたのが『人間開花』だ。だからこそ野田がそこに必要とした言葉達はこれまでのどの作品よりもシンプルで、愚直で、真っ直ぐで、肯定的で、この先の未来を見据えている。

ロックバンドなんてもんを やっていてよかった
間違ってなんかいない
そんなふうに今はただ思えるよ

  外部との関わりを求めて密室を飛び出し、最大の試練も乗り越えたRADWIMPSが『人間開花』で辿り着いたロックバンドである事への確かな歓びと肯定感は「“きれいごと”を言い続けたい」という現在のRADWIMPSのマインドに通底している。(やまだ)


(RADWIMPS「光」Music Video)