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はじめに

  新海誠監督による新作アニメーション『天気の子』の音楽監督を『君の名は。』に引き続きRADWIMPSが務める発表されたのが今年の4月の初め頃だったと思う。2017年の夏に新海誠監督からRADWIMPSの野田洋次郎の元に「(新作の)脚本を読んで貰えませんか?」というLINEが送られてきた事が全ての発端だった。この時点では音楽のオファーではなく、あくまで友人として脚本を読んで貰えないかという物だったが、その3ヶ月後に脚本を読んだ野田から「愛にできることはまだあるかい」と「大丈夫」のデモ音源が届けられた。そこから『天気の子』のプロジェクトは本格的に動き出す事になる。

  映画『天気の子』で新海誠監督とRADWIMPSが再タッグを組んだ経緯は僕が把握してる限り大体こんな感じだが、この一報を見た時はあまりの衝撃に動揺を隠せなかった。何故なら自分の中で形成されていたRADWIMPSというバンドの“現在地”がこの一報で最も簡単に崩されてしまった気がしたからだ。

  昨年の12月にリリースされたRADWIMPSのオリジナルアルバム『ANTI ANTI GENERATION』はビートミュージック、ホーンセクションやオーケストレーションと音楽的なアプローチを貪欲にやり尽くした意欲作だった。あの1枚に至るまでRADWIMPSはバンドとして初となるシングルを提げての国内ツアーやアジアツアー、日中共同製作映画への主題歌提供やNHKの『18祭 (フェス) 』など数々のプロジェクトを完遂し、『ANTI ANTI…』はそんな幅広い活動の集大成とも呼ぶべき作品として僕らに届けられた。

  だからこそ今年の4月に実は2年近くも水面下で『天気の子』の劇伴制作もしていた事を平然と明かされた時は「これは話しが違ってくるぞ」と冷や汗を流した。無論『ANTI ANTI…』は『ANTI ANTI…』だけの世界で成立する作品であり「新しいRADWIMPSの代名詞になる」という手応えも決して嘘ではないだろう。だが『天気の子』の劇伴を務めるという一報はそれだけRADWIMPSの現在地を見失ってしまえる程のインパクトを持ち合わせていた。サウンドトラックアルバム『天気の子』ーー。この一大パノラマな作品をどうRADWIMPSの歴史に落とし込むのか。

  このブログでは開設以来初となる〈前編〉〈後編〉に分けてのCDレビューを決行し、徹底的に『天気の子』という作品(主にRADWIMPSの音楽面)をフィーチャーする。〈前編〉ではサントラアルバム『君の名は。』やオリジナルアルバム『ANTI ANTI…』とそれを提げた全国ツアーを絡めながら『天気の子』を紐解き、〈後編〉では11月27日にリリースされる『天気の子 complete version』のディスクレビューを交えながら、『天気の子』をどうRADWIMPSの作品として位置付けるのか独自の視点で思慮していく。


『君の名は。』と『天気の子』の相違点

君の名は。(通常盤)
RADWIMPS
2016-08-24


  映画業界を席巻し社会現象にもなった新海誠監督の長編アニメーション映画『君の名は。』の公開からもう3年が経った。新海監督とRADWIMPSが初めてタッグを組んだ今作は映像と音楽のシンクロニシティーが大きな反響を呼び、最終的に250億円という興行収入を記録し国民的な映画としての地位を不動のものとした。音楽を担当したRADWIMPSも主題歌の1曲として書き下ろした「前前前世 (movie ver.)」が大ヒットし、RADWIMPSはその年の大晦日には『紅白歌合戦』への出場を果たした。

  そんな新海監督とRADWIMPSの再タッグが実現した新作アニメーション『天気の子』。映画公開前は『君の名は。』の二番煎じになるのではと懸念されていたが、それが全くの杞憂であった事は映画をご覧になった方なら一目瞭然だろう。『天気の子』は『君の名は。』を遥かに上回るスケール感のエンターテインメントとして惜し気もなく描かれており、そのメッセージ性こそオーソドックスではないかも知れないが作品を観た多くの人に鮮烈なインパクトを与える大作である事は間違いない。このブログではRADWIMPSが手掛けたサウンドトラックアルバムに着目し『君の名は。』と『天気の子』という2枚から垣間見える相違点を記していこう。

天気の子
2019-07-19


  まずサントラアルバム『天気の子』で看過できないのはRADWIMPS × 女性ボーカリストという新機軸である。この野田以外のボーカリストの起用というのは前作『君の名は。』との差別化を一気に図るという目的でもあっただろうが、それ以上に「陽菜の心の声をちゃんと歌える人、そして陽菜の声で帆高の気持ちを歌える声を求めた」という背景がある。3年ほど前から野田は「自分は歌わなくていい」という裏方モード (笑) にすっかり入っているが、そんな野田の音楽制作に対する姿勢がこの女性ボーカリストの起用にもきっと反映されている。そうして1年にも及ぶオーディションで女優の三浦透子がボーカリストとして抜擢されたのだが、野田が「どんな天気をも晴れにしてしまうような圧倒的で不思議な力」と評した彼女の圧倒的な歌声は『天気の子』には欠かせないパーツとなっている。彼女が声を吹き込んだ「祝祭」と「グランドエスケープ」については〈後編〉で詳しくレビューしようと思う。

  また前作『君の名は。』以上に『天気の子』に収録されている楽曲がRADWIMPS自身の歌である事にも着目したい。初めて「愛にできることはまだあるかい」を『ANTI ANTI GENERATION TOUR 2019』で聴いた時、映画の為に書き下ろされた楽曲であるにも関わらず「映画に関係なくRADWIMPSの歌として成立する楽曲」だと素直に思った。サビで繰り返される《愛にできることはまだあるかい / 僕にできることはまだあるかい》というフレーズが思春期の衝動と大人たちの諦念の狭間で踠きながらも“僕にできることはまだある”と信じて天変地異に立ち向かう帆高と陽菜の姿と自然とリンクするのだが、それ以上に自分の信じた「愛」の形を執拗に歌い続けた野田洋次郎自身の自問自答に聞こえたのである。「《僕にできることはまだあるかい》という歌詞で、ずっと自分に問われている感じだった」(野田)。100%映画に寄り添って制作された『君の名は。』では見られなかった野田のパーソナルな側面が「愛にできることはまだあるかい」では見え隠れするのだ。 


『ANTI ANTI GENERATION』と『天気の子』が辿り着いた自分達だけの正解

  昨年の12月にリリースされたRADWIMPSのオリジナルアルバム『ANTI ANTI GENERATION』と映画の公開に合わせて今年の7月にリリースされたサウンドトラックアルバム『天気の子』というこの2枚。これ程までにカラーもサウンドも異なるアルバムを本当に同一のロックバンドが同時期にレコーディングしていたのかと思わず懐疑的な見方をしてしまうものだ。結局『天気の子』の劇伴が発表された時にあれだけ衝動を受けた最たる原因は『ANTI ANTI…』やそれに纏わる彼等のインタビュー記事に一通り目を通しても『天気の子』の「て」の字すら汲み取れなかったからだと思う。オリジナルアルバムではロックバンド、RADWIMPSとしての金字塔を自由奔放に築き上げ、映画の劇伴制作では彼等なりの映画原理主義の下でフィクションの世界に全身全霊で感情を投資する。そんな目紛しい切り替え作業を物凄い精度でやり遂げた紆余曲折の結晶が『ANTI ANTI…』と『天気の子』という2枚のアルバムなのだと僕は思う。

  これが無理矢理で強引な解釈という事は百も承知で書くが故意か偶然か『ANTI ANTI…』と『天気の子』のクライマックスは10代の若者がこの世界の中で自分達だけの“正解”を探しにいくという着地点で共通している。映画『天気の子』の中で帆高と陽菜が下した大きな決断は決して褒められる物ではないかも知れないが、それを正解に変えていけるのは他でもないあの2人だけだ。そんな2人の一所懸命な生き様は期せずしてRADWIMPSが別のプロジェクトで制作していた「正解」という18歳たちへのアンセムにも投影されていたのかも知れない。(やまだ)

〈後編〉へ続く……。


(映画『天気の子』予報 ①)