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  2020年の元旦、桑田佳祐 (Vo.&Gt.) が晴れ渡る青空の下で両手を広げる朝日新聞朝刊の全面広告を見た時、柄にもなく2020年がこの国にとって、そして音楽業界にとって素晴らしい1年になると確信に近いものを感じた。それは以前から発表されていた民放各局による共同プロジェクト「東京オリンピック民放共同企画『一緒にやろう2020』」に桑田佳祐が書き下ろした新曲「SMILE〜晴れ渡る空のように〜」(当時はタイトル未発表) の全歌詞が掲載された全面広告であった。東京オリンピック民放共同企画『一緒にやろう2020』とは東京オリンピックに向けてこれまでにないようなムーブメントを全国の民放各局が協力して喚起するという壮大な社会貢献企画である。この2020年代という新時代の幕開けをこの曲が担ってくれると信じて疑わなかったのだ。


  だがいざ蓋を開けて見ると“2020年”という時代に流れていた社会全体の空気は僕が想像していた物とは似ても似つかない全くの別物であった。新型コロナウィルス“COVID-19”のパンデミックによる世界的な経済混乱、医療崩壊、様々な情報の錯乱、国からの外出自粛要請。クラスターやロックダウン、ソーシャル・ディスタンスと言った聞き慣れなかった横文字もすっかり世間に浸透し、僕らの当たり前の日常は人と人の直接的なコミュニケーションの自粛という根本的な部分からあっという間に覆された。当然のように東京オリンピックの延期も決定し、それまで民放同時放送などセンセーショナルな動きを見せていた『一緒にやろう2020』というプロジェクト、そして桑田佳祐が書き下ろした楽曲も宙に浮いてしまった印象を受けた。だが桑田佳祐の「SMILE〜晴れ渡る空のように〜」が放つメッセージって今こんな時代だからこそ必要なのではないだろうか。

  日本がオリンピックの招致に成功した翌年にサザンオールスターズが発表した「東京VICTORY」という曲がある。桑田佳祐が6年後に開催される東京オリンピックに想いを馳せて制作した楽曲だが、元より桑田佳祐はオリンピック開催に消極的な姿勢を示していた。その背景にあったのは遅々として進まない東日本大震災の被災地復興であった。それ故に「東京VICTORY」の歌詞中には《夢の未来へ Space goes round》という未来への指針と《時が止まったままのあの日のMy hometown》という回顧がジレンマのように同居。また《恋の花咲く都》や《川の流れのように》など桑田が敬愛する音楽人の楽曲の引用なども見られ、東京五輪への向光性を携えながらも、過去に向いた引力を僕はこの曲から感じていた。


  その一方で桑田佳祐の「SMILE〜晴れ渡る空のように〜」では過去に向いた引力どころか《ここから未来を始めよう》という未来の創造が高らかに歌われている。「気づいたらデビューして40年、いつの間にか新しい国立競技場ができていた。おいおい、ちょっと待ってよ、と。アタシの青春をここらで回顧したり総括したいなと思ったこともあるんですけど、もう時間が許してくれない。(中略) ある種、象徴的な未来のシンボル、国立競技場を見て、僕も気持ちをリセットしていくべきなのかなと」桑田佳祐が雑誌のインタビューでそう語っていた。ただノスタルジーに浸るフェーズからの《次の世代に何を渡そうか》という大きな意識改革は「SMILE〜晴れ渡る空のように〜」が桑田佳祐に齎らした功績の1つだろう。またこの曲が東京オリンピックという時点的なトピックに特化するのではなく、東京オリンピックを1つの通過点にして生きる“夢追う人達の歌”として仕上がっている点も忘れてはならない。だからコロナウィルスの影響でオリンピックが延期になった今でも「SMILE〜晴れ渡る空のように〜」は圧倒的な必然性を持ってこの時代に鳴り響く。

  コロナウィルスがこの国に齎した数々の利害得失や分断はアフターコロナの社会を創造して行く上で重要なファクターになると思う。そしてそれらを思慮した上で社会の仕組み、医療現場の充実、教育格差の拡大、マスメディアの精度、エンタメ業界への補償、政治の在り方などコロナウィルスで顕現した問題を1人1人が考えるフェーズがもう既に来ている。無論、そこには様々な主張や反駁があって良い。ただ同等に重要なのはそれに併行して1日でも早いコロナウィルスの終息という意識面での“一緒にやろう”を各自が持ち続ける事ではないだろうか。桑田佳祐の「SMILE〜晴れ渡る空のように〜」はこれからの世界の在り方を僕らに訴えかけている。(やまだ)


(‪桑田佳祐「SMILE〜晴れ渡る空のように〜」民放公式スペシャルムービー (民放共同企画“一緒にやろう”応援ソング) ‬)


《参考文献、引用サイト》