RADWIMPSが本日4月6日に新曲「猫じゃらし」を配信リリースした。今作は野田洋次郎 (Vo. Gt. Piano)が深田恭子が出演する「キリン 午後の紅茶」の新CMに書き下ろした楽曲。この曲が発表された当初は“野田洋次郎”という単体の名義でRADWIMPSバージョンは制作中とアナウンスされてたが、満を持して「猫じゃらし (Orchestra ver.)」とセットでバンド初となる配信リリースに至った(「PAPARAZZI〜*この物語はフィクションです〜 (English Ver.)」は除く)。
新曲「猫じゃらし」は流麗なピアノのアルペジオから始まるイントロに空間系のギター、壮大なオーケストレーション、打ち込みのキックが合流したハイブリッドで開放的なサウンドが飛び込んでくる、実に近年のRADWIMPSらしいカタルシスを味わうことが出来る楽曲に仕上がっているのだが、このコラムでは一際目を引く「猫じゃらし」というチャーミーなタイトルにフォーカスしていきたい。因みに曲中で猫じゃらしを彷彿させるような歌詞の言い回しも無ければ、配信ジャケットに写ってるような猫も登場しない。そんな楽曲が「猫じゃらし」と名付けられた訳を推察した時に見えて来たのは野田洋次郎なりの世界との向き合い方だった。
「この世界で楽しく生きるコツは、もしかしたら大それたことではなく、この小さな喜びに気づく才能なのかもしれません。あともう一つ、毎日一緒に過ごす「自分」という存在も、いつの間にか僕たちは知った気になって生きてることがあります。自分さえ知らない自分が、まだまだ隠れているかもしれません。そんな想いで作りました。」
新曲「猫じゃらし」について野田がそうコメントを寄せていた。この曲で歌われている“君”が何を指すのかは分からない。それは“僕”にとっての恋人なのかもしれないし、はたまた野田のコメントから拝借すると毎日一緒に過ごす「自分」の事なのかもしれない。それによって曲の味わいも変わってくるが「猫じゃらし」が指すそのものは変わらないと思う。
元号が平成から令和に移り変わり、2020年代を迎えた今現在、世界中ではコロナウィルスの猛威によって様々な情報が氾濫し、生きるか死ぬかの瀬戸際で人々は曖昧な責任の所在を巡って言い争いを続けている。そんな時代にRADWIMPSは何を歌うのか。期せずして「猫じゃらし」とはそんな運命を背負った楽曲に思えるのだ。だが不条理な世界が猫のように鋭い眼差しをこちらに向けて来たとしても、この世界を楽しく生きるコツも、“僕”と“世界”の幸福な関係性も今の野田洋次郎は知っている。《このなんとでも言える世界がやだ》と歌う彼はもういない。《半径 僕と君の間に何個も新しい今日を描いてみようか》ーー「猫じゃらし」とはRADWIMPSが提示する、こんな世界から小さな幸せを手繰り寄せて手懐ける為の術なのではないだろうか。(やまだ)
(RADWIMPS「猫じゃらし」Music Video)
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