
RADWIMPSが5月8日にテレビ朝日系列で放送された『ミュージックステーション』に書き下ろしの新曲「新世界」を提げて出演した。他のミュージシャンがコロナウィルスの感染拡大防止の為にリモートでの出演をする中、RADWIMPSはメンバー間のソーシャルディスタンスや無人カメラなど最大限の対策が講じられた状態でスタジオから生演奏を届けた。出演オファーを受けて急遽制作された新曲「新世界」は打ち込み主体のトラックに野田洋次郎 (Vo.) の犀利なリリックが乗せられた楽曲であり、彼らが今年の3月11日にYouTubeで発表した「世界の果て」の音像と非常に近いものを感じる。以下の埋め込みは僕がMステが放送された翌日にしたツイートだ。ここで言う“意味不明”とはdisでも何でもなくこの楽曲に対する僕の正直は感想であった。“意味不明”という気持ちが今も解消された訳ではないが、本稿ではこの曲に僕が抱く疑問点を綴っていきたい。
山田くん@AOTOXXX_05410
RADWIMPS「新世界」聴けば聴くほど意味不明でRADファンの知人に助け求めたけれど同じ熱量で混乱しててもう泣きそう。
2020/05/09 14:58:00
RADWIMPSの「新世界」を聴いて僕が最も困惑したのが《「僕と君なら きっと越えて行けるさ」そう言った君の声が 細く震えていたんだ》という冒頭のリリックである。普段はあまり閲覧しない歌詞考察サイトなども幾つか巡回したほどであったが、歌詞考察に特化したサイトであるにも関わらず何故かこのリリックをろくに思慮せずに流してる記事ばかりで驚いた。「僕と君なら きっと越えて行けるさ」 という台詞の発言主が“君”なのだとすると、語り手が指す“君”とは一人称を“僕”としている人物だという事になる。もしもこれが《そう言った僕の声が 細く震えていたんだ》というリリックであれば何の問題もなかった訳だが(伝われっ!!)。つまり額面通りに受け取るとこの楽曲の語り手である“僕”と「僕と君ならきっと越えて行けるさ」と発したもう1人の“僕” (?) が「新世界」には同居しているのである。野田洋次郎の書く歌詞世界の常套手段であった“僕”と“君”の2人で世界を精査していく姿勢というのは「新世界」にはどうも当て嵌まらないようだ。それ故に《「僕も君ならきっと越えて行けるさ」》や《「この時空で最期の恋ならば 君と越えて行きたい」》という台詞や後半のリリックも不可解ではあるのだが。
また「新世界」のリリックに散見されるRADWIMPSの過去の楽曲を彷彿とさせるフレーズの数々も看過できない。《見てたいものだけに ピントを合わせてはあとはモザイクで地球を覆ったの》という歌詞は「愛し」を、《僕ら空に落ちてく ビルは剥がれ堕ちてく 金は皮膚を剥いでく 罵声は跳ね返ってく》という歌詞の絶望感は「カイコ」でいう“最後のお祭り”を彷彿とさせ、《綺麗な0を描いてさ 新しくしよう「今」》は「アイアンバイブル」での“ゼロを掛けないで”を、《実況席で今日も構える神よ》は「実況中継」を。他にもあるがこう言ったリリックの数々が意図的に綴られているのなら、これは野田洋次郎がこれまで睨み合ってきた世界に対するアンチテーゼ且つ総決算のように受け取る事が出来る。
《きっと同じ世界には もう戻らない「ただいま」と開けたドアの先は『新世界』》コロナウィルスが終息した後に訪れる世界を「新世界」と謳うこの楽曲の根幹に強くあるのはアフターコロナの世界への示唆ではなく、そんな新世界の入り口を望遠する過渡期である現在=“旧世界”に対する痛烈な批評性である。特に《僕ら長いこと 崩れる足元を「上向いて歩けよ」と眼をそらしすぎた》というリリックは僕が敢えて言うまでもなく強烈なインパクトを放つ。コロナウィルスは僕らから沢山の物を奪っているが、同時にこれまで僕らが惰性で黙認してきた社会の歪みを顕現させてくれている。この楽曲を締める《明日の朝あたり 世界を変えにいこうかね》というリリックは正にそんな脆弱化した社会を自らの手で変えて行くという覚悟の表れなのだろう。それは分かる。それは分かるのだが「新世界」にはリリックも含め不可解な点が多すぎる。この楽曲に対する皆さんの感想や考察はTwitterやコメント欄で随時募集しています。僕はもうお手上げです。(やまだ)
(RADWIMPS「新世界」)
コメント
コメント一覧 (9)
発言主は「僕」であり、「君」は目の前にいる言葉を受け取った人で
次の「そういった君の声が〜」は受け取った人の言葉であり、ここでの「君」は前述の「僕」、つまり「僕と君なら〜」の発言主を指すと解釈しています。
この解釈なら違和感はないと思います
後半で「君が勝ちたいなら僕は負けでいいから」とありますが、これ聴いた直後また何かと戦い始めたなと思いました。
洋次郎はよく勝ち負けが歌詞に出てきますが
ここの相手がいつも不明です。
そもそも今回も君とは何か、恋をするというのなら女性が相手のラブソングなのか、それなら何故勝ち負けがあるのか、謎だらけですね。
こればかりは頭抱えても分かりませんでした。
私は、ミュージックステーションで初めて聞いた第一印象で一番頭に焼き付いたのが、まさにこの「僕と君なら・・・」の部分で
その時 勝手な直感で「この『僕』はこの星で、『君』とは生き抜いて行こうとする人類だ」と感じていました。
旧世界も新世界もどちらもが我が身の上で繰り広げられてゆく地球が、まるで大きな手術を受ける前の患者のように心細く、でも自分で為す術はなく、せめてもの君に希望を託しているような・・・
あぁ、なんか中途半端ですみません。そんな感じで聞いていました。
ただ、歌詞の後半まで全てこの理屈を通して聞こうとすると とても壮大すぎて疲れてしまうので、山田さんのように突き詰めていません。
ふーんわりとした印象の域を出ません。
長文、大変失礼しました。
山田くんが悩んでいるのがこのことなら伝わって欲しい!!見当違いなら本当にすみません。
このカタストロフィを超えられるか不安で声が震えてた君がいて、それに対して「この時空で〜君と越えていきたい」と僕が励ますように言ったのかなと。厳しい真実より嘘が欲しがってる君の想いに対して僕が折れて(負けて)まで君に笑顔になって欲しくて、君と新世界に行きたいんだと思いました。つまり僕も心の中では超えられるか分からない、新世界に行くのは夢かもしれないと思ってるんじゃないでしょうか。