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  本来なら今日に投稿するブログはRADWIMPSが東京ドームで開催する予定であったツアーファイナルの模様を嬉々と綴ったライブレポになる筈だったと思う。だがコロナウィルス感染拡大の観点からライブの開催は見送られ、振り替え公演の目処も立っていないのが現状である。またRADWIMPSは個人事務所であるが故にライブ公演の延期・中止で受けた経済的、そして精神的な打撃は我々の想像の域を優に越えたものであろう。だがそんな中でRADWIMPSのロックバンドとしてのアティテュードは変わらないどころかより不屈な物へとなっていった。エンタメ業界はコロナウィルスの猛威によって文化的停滞期への突入を余儀無くされ、様々なアーティストがエンターテインメントの灯火を維持しようとしているがRADWIMPSのアプローチは殊に目を引いた。

  昨今の野田洋次郎 (Vo.Gt.Piano.) はコロナウィルスに翻弄される世界と真正面から対峙し、犀利な洞察力で世界の輪郭の再認識に踏み出したように僕には見える。彼らが3月11日にYouTubeに発表した「世界の果て」はコロナウィルスを巡る情報社会の混乱とそれによって炙り出された人間の歪んだ感情を淡々と連ね、中国の方々からの提案を受けて制作された「Light The Light」は中国だけでなくコロナウィルスと闘う全ての人々に向けての激励と鼓舞であった。また4月に配信リリースされた「猫じゃらし」では“そばにある幸せ”にフォーカスした歌詞を高らかに歌い上げ、テレビ朝日『ミュージシャンステーション』からの出演オファーを受けて制作された「新世界」はアフターコロナの世界を創造していく明確な意思表明となった。この3ヶ月間でRADWIMPSは「世界の果て」「Light The Light」「猫じゃらし」「新世界」という4曲を通して多角的に世界を精査したのだ。

  そんなRADWIMPSから新たに「ココロノナカ」という楽曲が急遽届けられた。実はこの楽曲は彼らがMステ出演のオファーを受けた際に最初に制作に取り掛かっていた楽曲である。《あの日々が来るまでは その時が来るまでは 楽しみを何百個と書きためておくとしよう それをパンパンに詰めて抱きしめてよう》という未来への向光性が伺える前向きな歌詞とクラップを誘う人懐っこいメロディが融和し「ココロノナカ」という文字を入れ替えると「過去のコロナ」になるという野田洋次郎らしい言葉遊びも垣間見える楽曲である。僕はこの楽曲を初めて聴いた時「いや、Mステこっちで良かったやん」と思わずツッコミを入れていた。数日前に当ブログで僕は「新世界」のリリック面に対して不可解な点が多いと実に稚拙な記事を書いたが(その節はブログを読んだ沢山の方々から意見や考察を頂きました。ありがとうございました)実のところお茶の間に届ける楽曲として「新世界」は正解だったのだろうかという漠然とした疑問がずっと自分の中であったのである。

  Mステで「新世界」を披露した理由について野田洋次郎はこうコメントしている。『最初にお話をいただいたとき、みんなが前を向けるような曲を作ろうと思い制作を始めました。ですが段々とそれだけでいいのかと違和感が生まれていきました』『この曲(「新世界」)はもしかしたらまだこの時期に聴いてもらうには早いのかもしれません。希望に満ちた曲こそが必要なのかもしれません。でも多くのアーティストがそういった曲をきっと演奏し、素晴らしいものになると思ったので僕はあえて少し先の未来に向けて曲を作りました』確かにコロナウィルス以前の世界からアフターコロナの世界へと移り変わる過渡期を写実的なリリックで描写し、批判性を帯びたメッセージとして伝えられるのはRADWIMPSにしか成し得ない事だったのかも知れない。そう言った大衆性に媚びない姿勢のようなものがファンからも高評価されていたが、果たしてRADWIMPSが「ココロノナカ」から「新世界」に舵を切ったのはそう言った天邪鬼精神だけに起因するものだったのであろうか。いや、僕はどうしてもそうは思えないのだ。

  世界の在り方を精査しようとする昨今の野田洋次郎の姿勢は2011年に発生した東日本大震災以降の彼を彷彿とさせられてしまう。そう言えば震災から2年が経った年のインタビューで野田がこんな事を語っていた。「もっともっと日本が変わるなって思ってたんですよ。あの出来事を良い方向に活かすしかないって。でも現実は違ってて。世の中が変わらない、ていうか元に戻ってる」あれ程の大災害を経験しても尚、変わらなかった世界の理不尽な仕組みに対する苛立ち、それにただただ抑圧される無力感。だからこそ野田は2013年に開催された仙台での野外ワンマン『青とメメメ』では数万人の前で奪われていった命に涙し、それらを奪った世界に「なんでこんな世の中なんだよ畜生」と怒りの感情を露わにした。野田があの震災を通して抱いたのは“そう簡単には変わらない世界”に対する鬱屈とした憤りであった。

  そう言った過去の事例を鑑みた時に野田洋次郎が「ココロノナカ」では無く、敢えて「新世界」を地上波の生放送で演奏した真意が見えてくるのではないだろうか。現在、コロナウィルスによって社会の仕組みが根本的な部分から見直されている。企業の在り方、エンタメ業界、教育現場、そして僕らの生活の連関する政治の在り方など。それらをこれからの世界を生きる1人1人が真剣に考えて自らの手で創造して行かなければならない。9年前の震災で辛酸を嘗めた野田だからこそ「新世界」を通して何よりもそんなメッセージをお茶の間に届けたかったのだと思う。期せずして「ココロノナカ」が僕に導いてくれたのは「新世界」に対する疑問の氷解であった。

  そんな一度はお蔵入りになった「ココロノナカ」だが当初予定されていたRADWIMPSの東京ドーム公演の空白を埋めるかのように僕らの元に届けられた。そこにはコロナウィルスの影響でライブツアーが全て白紙になった彼らの悔しさや虚しさが伺える。この曲に併せて野田は「この音と映像も転載自由です。みんなも曲にあわせてぜひ、歌ってみてください」とコメント。野田自身もTikTokのアカウントを開設し、この音源を提供するなど新しい試みが始まった。《いざ行こう さあハッピーエンドよ そこで待ってろ》「ココロノナカ」に込められたハッピーエンドへの指針は全方位に向けられている。(やまだ)


(RADWIMPS「ココロノナカ」)


《参考文献、引用サイト》