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   2015年に公開された松永大司監督の長編映画『トイレのピエタ』。マンガ家・手塚治虫が死ぬ直前まで綴っていた病床日記からインスピレーションを受けた監督によって脚本化された完全オリジナルストーリーであり、今作の主演を務めたのがRADWIMPSの野田洋次郎 (Vo.&Gt.) であった。それまでメディアの露出も殆どせず音楽製作に専念してきた野田が映画に出演するというセンセーショナルな一報に当時は衝撃を受けたが、今となっては俳優として数々の作品に出演し、朝から何となくNHKにチャンネルを合わせたら平然と野田洋次郎が朝ドラに出演しているのだから全く慣れとは怖いものである。

 とは言え『トイレのピエタ』という作品が野田洋次郎に与えた影響はあまりに大きかった。RADWIMPSの2010年代は〈開いていく〉というバンドにとっての重大な転換期であった。このテーマになると必ず語られるのが『君の名は。』を手掛けた新海誠との接近であるが、本稿では『トイレのピエタ』という別角度からRADWIMPSを紐解いていきたいと思う。

トイレのピエタ 豪華版 [Blu-ray]
松竹ホームビデオ
2015-10-14

  映画『トイレのピエタ』は突然、胃癌によって余命3ヶ月を宣告された野田洋次郎演じるフリーター、園田宏が忍び寄る死に恐怖を募らせながらも、純粋に想いをぶつけて来る杉咲花演じる女子高生、真衣との出会いで彼女に翻弄されながらも生きる喜びを見つけ始める“人生最後の夏”をセンチメンタルに描いた青春映画である。才能があると身近な人間からは言われながらも画家の夢を諦めていた宏は真衣との出会いを通じて、人生最後の3ヶ月を惰性で生きるのではなく、トイレにピエタ像を描くという命が尽きるその日まで心血を注ぐ選択をするのだった。

  2013年の夏頃に舞い込んできた『トイレのピエタ』の脚本を読んだ野田は主人公の園田宏という人間に他人とは思えないシンクロを感じた事でオファーを受けることに。「いつ終わるかもしれないし、やれることなんてやれないことに比べたら小さいからこそ、やれることの喜びが半端なくて、やり尽くすのは無理だろうけどやり尽くそう、くらいに思って。たぶんそこで変わったんですよ。やることに迷いがなくなった」2016年のインタビューで野田はそう話していた。園田宏の数奇な人生を最期まで演じた事で野田が得たのは自分自身を使い切るまで使おうという意志であった。それまでオファーに対して断るという事をRADWIMPSの在り方としていた野田だったが、園田宏の“死”を疑似体験した事で有限の命を自覚し、命のペース配分を変えていったのだ。

  そんな野田洋次郎が『トイレのピエタ』の主題歌に書き下ろした「ピクニック」という楽曲がある。映画の撮影が全て終了してから打ち上げで披露する為にたった3日間で製作された今作は「宏に対して野田洋次郎が歌を書くなら」というコンセプトの下で制作された。アコースティックギターの弾き語りがベースにありながらも随所に散りばめられたレコードノイズには世界と自分との摩擦のような痛々しさと限りある命を擦り減らす人間の美しさを垣間見る。「ピクニック」のクリエイトは野田の中で渦巻いた感情の浄化と園田宏の魂を昇天させる作業だった。

  2015年12月23日の幕張メッセ。メジャー10周年を記念したこのライブで野田洋次郎は「大事な曲になったので歌います」と前置きし「ピクニック」を披露した。《あなたは僕がたしかに 生まれ落ちたあの日 この手からこぼれ落ちた この僕の片割れ》 そう歌う彼の表情に僕は野田洋次郎とは違う園田宏としての表情を確かに見た気がしたのだ。『RADWIMPSのはじまりはじまり』と題されたこのライブは翌年に『人間開花』を標榜するこのバンドの萌芽を感じさせるものだった。忘れてはならないのは現在まで続くそうした躍進の根源に『トイレのピエタ』という作品があった事である。「園田宏」という片割れとあの夏の出来事を引き連れて、野田洋次郎は限りある“ピクニック”を今も続けている。(やまだ)




《参考文献》
  • 映画『トイレのピエタ』公式パンフレット
  • 『音楽と人』2016年12月号