こんにちは、山田です。
新年おめでとうございます
昨年はTwitterやブログでお世話になりました。ありがとうございました。今年も昨年同様よろしくお願い申し上げます。

という新年の挨拶はこのくらいにして、新年一発目のブログはRADWIMPSのニューアルバム『人間開花』についてです。アルバムが発売されてからTwitterで多くの方から「山田さん!『人間開花』のブログを是非書いてください!!」と言われるかと思っていましたがそんな声も一切なく……今回も哀しく自己満足の為に書いて行きます。では早速このアルバムを少しづつ紐解いて行きましょう!


RADWIMPS "人間開花"

01. Lights go out
02. 光
03. AADAAKOODAA
04. トアルハルノヒ
05. 前前前世 [original ver.]
06. ‘I’ Novel
07. アメノヒニキク
08. 週刊少年ジャンプ
09. 棒人間
10. 記号として
11. ヒトボシ
12. スパークル [original ver.]
13. Bring me the morning
14. O & O
15. 告白

概要
前作のアルバム『×と○と罪と』から3年という期間を置き作成されたRADWIMPSのオリジナルアルバム『人間開花』が11月23日にリリースされました。劇伴を務めたアニメ映画『君の名は。』が大ヒットの中でのニューアルバムは初週でなんと累計20万枚を売り上げオリコンチャートで1位を獲得し、翌週からは2位に落ちたものの今年屈指の名盤として多くの音楽ライターの方が絶賛しています。今回の『人間開花』はRADWIMPSの名前が映画、地上波出演などでより一般的になり、雑誌やラジオでの宣伝活動も活発でした。そう思うと2009年にリリースされた『アルトコロニーの定理』が当時、目立った宣伝活動がなかったにも関わらず初週で21万枚も売り上げているのは凄いとしか言いようがありません。

初回限定盤はCDとDVDの2枚組で発売され、DVDには2015年にRADWIMPSが幕張メッセで行ったワンマンライブ『RADWIMPSのはじまりはじまり』から13曲を厳選した映像が収録。それに加え『君の名は。』の新海監督がこの為だけに書き下ろしたカットを交えた「スパークル [original ver.]」のMusic Videoも観れるという大満足な内容です。 また来年行われるツアーの特別先行受付に必要なシリアルナンバーも付いてくるという事でファンなら喉から手が出るほど欲しいアルバムになってるわけでございます(2017年1月現在では先行の抽選は終了しています)。

ジャケットについて
『人間開花』と言ったらインパクト抜群のジャケットは外せませんよね。こちらのジャケットを担当した女性はハーフモデルのモトーラ世理奈さんです。『人間開花』というくらいですからジャケットはまさに"人間"を前面に出したものになっています。

では『人間開花』の楽曲達を僕個人の観点から紐解き勝手に感想を述べて行きたいと思います。ただし気が遠くなるほど長いのでお気をつけください


Lights go out
作詞作曲 野田洋次郎)
アルバムの1曲目を飾るのがこの楽曲。タイトルの意味としては消灯でよろしいのでしょうか。違ったらコメント欄で「デマ言ってんじゃねぇぞ!」と叱って下さるとありがたいです。この楽曲の特徴としてはまず歌詞が全て英詞だということです。「RADWIMPSで歌詞が英語って珍しくないよね?」と思った方も多いかもしれませんが一曲通して全てが英詞というのは何と『アルトコロニーの定理』に収録された「雨音子」「バグパイプ」という曲以来なのです。そしてこの楽曲は2分59秒とかなり短めです。何故この楽曲がこれほどコンパクトになっているかというと映画『君の名は。』のオープニングに流れるイメージで作られたからです。新海監督は『君の名は。』で英詞の楽曲を使うことに抵抗があったみたいなので、結局「夢灯籠」が採用されたのですが。そんな新海監督の想いがあってか『君の名は。』の主題歌には一切英詞が入っていませんよね。 「この曲が『君の名は。』のオープニングじゃなくて良かった」というのが僕の本音です。悪い意味ではなく。この楽曲がオープニングになってしまっては「夢灯籠」という曲がお蔵入りになっていたかも知れません。そんな背景があるので「Lights go out」は『君の名は。』の世界観をモロに受けています。曲の最後は"今君のもとに飛んでいくと約束するよ"という男の子のセリフで締められていて「夢灯籠」の"君の名を今追いかけるよ"と近いものを感じます。「Lights go out」はリスナーを『人間開花』の世界へ導入する役割を見事に果たしてくれているのです。

作詞作曲 野田洋次郎)
この楽曲はiTunes等で先行配信されてました。『人間開花』のリード曲と言ったらこの曲で間違いないでしょう。1曲目で消灯したはずの光が2曲目で一気に解放されます。この曲に関してはこの曲がラジオで初公開された翌日に僕がこの曲単体でのブログを出しているのでそちらを読んで下さると助かりますが、あれから時間も経ちこの曲に対する気持ちが変わってきてると思うのでしっかり書いていこうと思います。あのブログを書いた時には『君の名は。』の余韻を引きずってる?という曖昧な書き方をしていましたが、それはそれほど間違いでもなかったのです。それどころかこの曲も「Lights go out」同様に『君の名は。』の為に制作された楽曲だったのです。主題歌を「前前前世」にするか「光」にするかでギリギリまで洋次郎さんと新海監督で打ち合わせをしたと言います。最終的に前者に落ち着いたのですが、理由としては「光」はこの楽曲単体で成立できるけど「前前前世」は新海監督の世界観なしでは成立できないから、らしいです。それにこの機会を逃したら「前前前世」という変なタイトルの曲は出せないと思ったらしいです。いやいや、何を今更(笑)RADWIMPSのタイトルなんて変わったのばっかりじゃn……あっ。えー、曲調ですが「前前前世」と同様にイントロから疾走感あるギターが掻き鳴らされ、RADWIMPSにしては非常にシンプルな仕上がりになっています。複雑な音やリズムではなく今のRADWIMPSが奏でるかなりスタンダードな楽曲に仕上がってる印象です。曲調がシンプルだからこそ歌詞がストレートに聴き手に響くのだと思います。これは決して手抜きではなく、衝動的にできた楽曲と捉えたいところです。衝動といえば歌詞にも共通するワードだと思います。臭い言い方ですがまさにこの楽曲は衝動的な恋愛感情を歌っていると思うのです。映画『君の名は。』で男女がお互いを探すシーンは衝動そのものです。この『君の名は。』がRADWIMPSに与えた影響として大きいのは再び恋愛ソングを歌うきっかけを作ったことではないでしょうか。RADWIMPSといえば「有心論」「いいんですか?」「ふたりごと」のような恋愛ソングが人気ではありますが、ここ数年のRADWIMPSはそこから少し離れていました。あれから10年という月日が経ちRADWIMPSは再び恋愛ソングを歌うことになったのです。歴史は繰り返すとはこの事かも知れません。「有心論」や「ふたりごと」が主人公と君との長い恋愛のスパンを歌った楽曲なら、この「光」は衝動的な恋心の一瞬を切り取ってメロディに乗せた楽曲なのかもしれません。そしてこの楽曲から溢れる輝きはドラマーの山口智史さんが無期限活動休止を発表してRADWIMPSが失くなるかもしれないという絶望から何とか這い上がったRADWIMPSがメンバーと共に音を鳴らす事ができた喜びそのものだと思うのです。

AADAAKOODAA
(作詞作曲 野田洋次郎)
何じゃこのタイトルは!!?と言いたい所ですがいかにもRADWIMPSらしいというかなんと言うか……。洋次郎さんが「この曲は俺の独壇場」と言っているくらいなのでサウンドが実にアレです。アレというのは洋次郎さんのソロプロジェクト、illionです。今年の10月にリリースされたillionのセカンドアルバム『P.Y.L』で トラックメイキングとサンプリングをベースとした手法が用いれられていましたが、この「AADAAKOODAA」でもそこでのノウハウが存分に発揮されています。このアルバムでも「記号として」「AADAAKOODAA」といった風刺の楽曲は存在しますが「DADA」や「おしゃかしゃま」のような以前のRADWIMPSのスタンスとは変わってきています。がむしゃらに駄々をこねていた過去と比べるとかなり落ち着いた印象を受けます。また洋次郎さんはこの手の歌を作る際に歌詞がかなり長くなるのがお決まりでしたが、この曲はかなり歌詞量が少なくなっています。これはただのエゴイズムを吐き出すという行為ではなくあくまで歌を聴かせたいという洋次郎さんの意識の変化のような気もします。

トアルハルノヒ
作詞作曲 野田洋次郎
メンバーの桑や武田さんがイチ推しの楽曲がこれ「トアルハルノヒ」。この曲は中学2年生の頃にRADWIMPSの音楽に出会った少女が21歳にまで成長して音を鳴らす側として表現している姿に洋次郎さんが感銘を受けたという実話から生まれたものです。それだけではなくこの楽曲はRADWIMPSを取り巻いてきた人々への感謝の気持ちであったり、RADWIMPSへの素直な肯定であったり、音楽を続けていられる喜びであったりと強いメッセージ性を持ったものとなっています。ひたすら主観でバンドを続けていた洋次郎さんが、10年目で客観的にバンドを見ることができるようになったからこそ歌えたのが「トアルハルノヒ」であり、RADWIMPS自身がバンドを続ける意味をこの楽曲で納得しているのです。この曲が歌えてる限りRADWIMPSは何があっても大丈夫だな、と思わせてくれます。"ロックバンドなんてものをやっていてよかった"なんて歌詞はこれ以上にない肯定ですよね。歌詞が持つパワーは強く、演奏も歌詞に引っ張られて生み出されたと言います。シンプルなアレンジだからこそ歌詞が際立つのかもしれません。ファンとしても大切にしていきたい1曲です。

前前前世 [original ver.]
(作詞作曲 野田洋次郎)
「前前前世」といえば映画『君の名は。』の主題歌であり、2016年の邦楽を代表する名曲になったことは言うまでもありません。8月にリリースされたサウンドトラックアルバム『君の名は。』に収録された「前前前世 (movie ver.)」とは違ったアレンジが加えられ、RADWIMPS曰く「前前前世 [original ver.]」は「前前前世」の完成形でありRADWIMPSが目指した最終形だそうです。「前前前世 (movie ver.)」にはなかった歌詞が追加されています。追加された歌詞は『君の名は。』の瀧と三葉のやり取りのようにも聞こえます。これまで一人称が"僕"で統一されていたのにも関わらずここでは"私"という別の人物が混入しているのです。この人物こそが三葉と捉えるのが自然かもしれません。Music Videoでは「前前前世 [original ver.]」だけの特別なカットが挿入されました。猿人の格好をしたメンバーの演奏シーンは必見です。話は変わりますがRADWIMPSはこの楽曲でNHKの紅白歌合戦の出場を果たしました。素晴らしいパフォーマンスを見せてくれました。ラジオで洋次郎さんが「"前前前世"を演奏しなくなる自分らが容易に想像できる」という発言をしていましたがこれからこの楽曲とRADWIMPSの向き合い方がどのように変化していくのか楽しみです。

‘I’ Novel
(作詞作曲 野田洋次郎)
2015年にRADWIMPSがリリースしたシングル『記号として/‘I’ Novel』からの収録となりました。東京メトロのキャンペーン「Find my Tokyo.」の第3弾CM「『私を惹きつける池袋』篇」のCMソングとして書き下ろされた楽曲で、このCMには洋次郎さんがちゃっかり出演しています。ミドルテンポの韻の踏み方が凄くRADWIMPSらしく、透明感のあるサウンドは美しく絡み合い、聴く者の心を掴んで離しません。 曲のテーマは私小説。洋次郎さんがこれまでの人生を小説に比喩しながら歌い上げ 、見事なまでの人生賛歌として昇華されています。 この『人間開花』はあらゆるものを肯定して行くアルバムだと思うのですが、この「‘I’ Novel」も肯定です。これまでの人生への肯定。今思うとこの曲から"人間開花"は始まっていたのかもしれません。当時30歳を迎えていた洋次郎さんが"小説にしたらせいぜいまだ3行目あたりのこの人生"と歌っているのですが、これから洋次郎さんがどのような私小説を書き上げて行くのかが非常に楽しみです。

アメノヒニキク
(作詞作曲 野田洋次郎)
この楽曲が作成されたのは2年半も前の事で、実験の中で生まれた楽曲らしいです。ですから初めて聴いた時に少しだけ『×と○と罪と』の延長線のような雰囲気を感じました。シンプルなアレンジが多いこのアルバムの中でこの「アメノヒニキク」はかなり凝って作り込まれています。いくつもの音が注ぎ込まれ、生音と打ち込みの音が心地よく響きます。歌詞は同じことを何度も繰り返したり、曲調が急展開したりと、サカナクションに似たものを感じました。浮遊感とロックサウンドが絡み合いリスナーを飽きさせません。「アメノヒニキク」という片仮名表記のタイトルですがこれは「トアルハルノヒ」を意識した命名なのでしょうか(勿論、逆も考えられる)。この曲はタイトル通り雨の日に聴くイメージで作られました。小雨だった雨が曲が進むごとに強さを増していき最後には土砂降りとなり降り注いでいる映像が脳裏に流れます。ラジオでDJの「演奏が一番難しい曲は何ですか?」という質問に対しRADWIMPSはこの曲を挙げていました。果たして今年のツアーでは演奏されるのでしょうか。これはライブ演出が凄そう……。

週刊少年ジャンプ
(作詞作曲 野田洋次郎)
『週刊少年ジャンプ』というと今でもあらゆる世代から愛されている漫画雑誌です。僕も毎週のように手に汗握りながらジャンプを読んでいたものです。そんな経験がある人にとってこの曲はあまりに酷です。胸が締め付けられる、ストレートに響くバラードとなっています。この曲は『君の名は。』に入る前から作成されていたと言うのだから驚きです。その時期からRADWIMPSがマジョリティに傾き始めていたという事なのでしょうか。この曲はRADWIMPSなりの応援歌です。結果的に誰かの背中を押した楽曲ならいくつもありますが、それはあくまで二次的なもので「週刊少年ジャンプ」は直接的に聴き手の背中を押しているのです。この曲を出すのは洋次郎さんとしてもかなりのチャレンジだったと思います。これまでなら恥ずかしくてボツになっていた筈です。でも洋次郎さんがそろそろこういう事を言える時期が来たんじゃないか、という決断をしてこの曲を発表してくれたのは凄く大きな事だと思うのです。歌詞は洋次郎さんの少年時代の実体験のようですよね。漫画のヒーローに憧れていた人達なら頷きながら聴いてしまうのではないでしょうか。 聴くたびに奮い立たされます。何の隔たりもなくこの楽曲には自分の人生を投影できると思います。

棒人間
(作詞作曲 野田洋次郎)
『×と○と罪と』の頃に作られた楽曲です。この楽曲を『人間開花』の流れで聴いてると「え?」と耳を疑ってしまいます。「週刊少年ジャンプ」は洋次郎さんが人間的に満たされてきたからこそ歌えた曲であったのにも関わらず、この曲の主人公は 全くその部分が満たせていない、それどころか自分は人間ではないという否定的な表現を繰り返しています。『人間開花』を聴く上でここの落差は一つのポイントだと思います。この曲の主人公は様々なコミュニティに揉まれ、必死で対応をしようとしていく内に自分を見失ってしまいます。 "僕は人間じゃないんです"という強い否定を繰り返すのですがそれを主張していることが既に人間らしい部分でもありますよね。この曲は人間に対する否定を歌ってるのでしょうか?人間のモノマネをしたところで結局それは人間に対する憧れでしかありません。"何度諦めたつもりでも 人間でありたいのです" これは最後の一節ですがこれは主人公の人間への肯定であり心の救済だったようにも感じます。このようなポジティブな結末も今のRADWIMPSだからこそって感じがしますよね。ネガティヴに着地してしまったらこのアルバムに「棒人間」という楽曲が入ってる意味が分からなくなってしまいますし。歌詞中で何度も何度も"僕は人間じゃないんです"というフレーズを繰り返し聴き手に強く印象付けたからこそ最後の一節が抜群のインパクトを与えているのです。

記号として
(作詞作曲 野田洋次郎)
こちらも「‘I’ Novel」同様に2015年にシングルとしてリリースされたものが収録されています。「DADA」や「おしゃかしゃま」を連想させるヘヴィで重圧感のあるロックサウンドが特徴的な1曲になっています。因みにこの楽曲と前述した「‘I’ Novel」は活動休止前の山口智史さんが叩いている為、アルバムのクレジットには山口智史さんの名前が記載されています。歌詞の内容ですがかなり荒れてますよね。これは過去の楽曲を掘り起こすと「DADA」にかなり近いのかもしれません。主人公は同じルーティンを繰り返す人生に嫌気がさしているのはすぐ察しがつきます。だからといって大それた事をするわけでもなく、死なないように細心の注意を払いながら生き続けているようです。自暴自棄とまでは行きませんがそれにかなり近い状態とも言えます。"僕の指なぜ八本?"という気になるフレーズもありますが、視界が定まらないほど荒れている精神状態を暗示しているのかもしれません。"騙されぬほどに優しく 嫌味にならぬほどに賢く" というサビ前のフレーズにも注目してみます。以前「実況中継」という曲では神様が「死なない程度に賢くて 生き延びれぬ程度にバカな」という評価を人類に下していましたが、神様がdisってた人類は「記号として」の主人公のような人間だったのかもしれました。まぁ「実況中継」での最終結論は誇り高き神様と仏様も所詮クズみたいな人間と同類なんだよ、という悲惨なものなのですがそれはまた別の話……。えー「記号として」に話を戻しますがこの曲は最終的に救われる曲なのでしょうか?曲の終盤には主人公に別の人格が現れ、もっと極端な言い方をすると保守的で右寄りな主人公の中で行動的な左寄りの人格が顔を覗かせます。これは主人公が変わる最後のチャンスだったかもしれませんが最終的に主人公は針に糸を通すだけの、記号として生き続ける人生を選択するわけです。うーん、どうなんでしょうか。この結末が主人公にとって良かったのか悪かったのかという判断は僕にはできません。ただ最後に"よし行け 最高到達点を"という歌詞があるのでこれが唯一の救いなのかなとも思います。次の曲が「ヒトボシ」というかなり吹っ切れた楽曲なのでこの曲とのギャップも楽しめると思います。

ヒトボシ
(作詞作曲 野田洋次郎)
イントロ、曲中に歓声が組み込まれ擬似ライブを演出しているこの楽曲。「ヒトボシ」とは恐らく漢字表記にすると人星だと思われます。人を星の光に例えた前向きな歌詞が印象的です。「棒人間」で自分が人間であることに抵抗を感じていたのにも関わらず、この曲での吹っ切れ具合は尋常なものじゃないです。アルバム制作の後半に作られた曲なので、この風通しのいい解放感もかなり意図的な感じがします。アルバム制作の後半はRADWIMPSメンバーが今後の方向性を自覚し始めた頃だと思うのでその中で生まれた「光」や「ヒトボシ」はRADWIMPSの新しい到達点なのだと思います。「Lights go out」や「ヒトボシ」で本来ベース担当の武田さんがギターを弾いていたりとかなり自由な空間で音作りがされていたのも大きいかもしれませんね。2005年に発表された「螢」という楽曲で洋次郎さんは消えることを知っていながらも光を灯し続ける無常観を歌っていましたが、あの頃とは着地点が違う気がするんですよね。今のRADWIMPSなら絶対に"奪って逃げるただそれだけの命なら"とは歌わないと思いますし。

スパークル [original ver.]
(作詞作曲 野田洋次郎)
サウンドトラックアルバム『君の名は。』に収録されていた「スパークル (movie ver.)」に大胆なアレンジが加えられたのがこちらの楽曲。「スパークル (movie ver.)」を聴き込んでいた僕としてはこのバージョンに慣れるのになかなか苦労しました(笑)「前前前世」では2つのバージョンにそれほど大きな違いはありませんでしたが「スパークル」に関しては全くの別物という認識でもいいと思います。「スパークル (movie ver.)」は壮大なオーケストラによる間奏が入るので9分近い大作となっています。そういった点ではその部分が大幅にカットされた「スパークル [original ver.]」はコンパクトに収まったとも言えますがそれでも約7分と長めの曲ではあります。「スパークル [original ver.]」は洋次郎さんがサビにファルセットを加えていたり、アウトロで声を伸ばしてみたりと歌い方をかなり変えてるのでそこも是非注目してみて下さい。歌詞の解釈はここで話すことでもないな、と思うので省略します。映画『君の名は。』をご覧になった方には他言は不要だと思ったからです。 「スパークル (movie ver.)」に対する感想は以前更新した『君の名は。』についてのブログでタラタラ書いてるので気になる方は一読してみて下さい。

Bring me the morning
(作詞作曲 野田洋次郎)
前作『×と○と罪と』の「夕霧」に続き、今作も収録された唯一のインストゥルメンタル作品です。2本のアコースティックギターで奏でられる1分にも満たない楽曲なのですが爽やかな朝の訪れを感じさせるサウンドに仕上がってます。まるで映画のほのぼのとしたワンシーンに流れるBGMのよう……はっ。『君の名は。』の劇伴を担当した時のノウハウをここでも発揮してるのかもしれませんね。

O & O
(作詞作曲 野田洋次郎)
タイトルはワンアンドオンリーの頭文字をとって"唯一無二"という意味です。唯一無二というタイトルも色々な解釈ができそうですね。曲調はいくつもの声が重ねられ実に見事な現代風のゴスペルに仕上がっています。 ルバム制作の終盤に作られた曲とだけあってこのアルバムの総括のよう 役割を果たしてくれている気がします。歌詞を見ていきます。Aメロの歌詞はこれまでのRADWIMPSを思わせるものです。"僕がいなくても回り続ける世界"なんていう表現は6年前に 救世主」という曲でも歌われてました。君がいない世界を悲観するような表現もこれまでの RADWIMPSが歌ってきたものでした。ただここからが重要なのです。"譲れないものなど 一つもなかった僕が なにがなんでもと言える もの出逢ったの" サビではそれこそが 僕がこの世に生まれた意味と洋次郎さんは歌っているのです。"晴れた空に君を唄えば 雲が形を変えていくよ"という情景描写には 清々しささえ も伺えます。"いいや いいや" もどこか吹っ切れて ますよね。主人公をここまでさせたものとは言うまでもなく" "という存在です。恋人でしょうね( この曲では僕と君が丁度いい距離感を保ってるなぁと思いました。これまでは 彼女を宗教のように崇拝した末に、過剰に んだり怒ったりしてましたがこの楽曲からはそれをあまり 感じません。このアルバムだからこそ歌えた 全く新しいラブソングなのかもしれません。聴いている こちらまで 幸せな気持ちになってしまいます

告白
(作詞作曲 野田洋次郎)
泣けます。美しいメロディがアルバムをしっとりと締めてくれます。 この楽曲はベースの武田さんが結婚の際に洋次郎さんが作り、結婚式で披露したとか。だからかもしれませんが「ラストバージン」に次ぐウェディングソングとして捉えることもできます。また『RADWIMPS GRAND PRIX 2014』というツアーの神戸公演で未発表曲として披露されていたようです。このツアーで未発表曲が披露された事はファンの間で話題になっていましたから、その曲がこうして音源化されたのは本当に嬉しいです。 "君の未来と 僕の未来をひとつの意味としようよ" 洋次郎さんの口から淡々と語られる告白が ストレートにしく響き、 洗練された 楽器隊との調和で更に 気持ちの いい場所昇華されていく感じがします。至高のバラードという言葉が相応しいかもしれませんね。


『人間開花』のまとめ
ここからは僕による勝手な総括です。
アルバムを聴いた方なら分かると思いますがこの『人間開花』でRADWIMPSは大きく変わりました。常に変わり続けてきたバンドではございますが、今作の変化はかなり大きなものだったと思います。アルバムタイトル通りの盛大な"人間開花"を成し遂げたわけです。では何故、RADWIMPSはここまで変わることができたのでしょうか。僕は山口智史さんの無期限活動休止に尽きると思います。「RADWIMPSが失くなるかもしれない」というメンバー共通の絶望に陥ったからこそ再び音を鳴らせた時の喜びは大きかったのだと思います。それに2014年の時点でRADWIMPSに『君の名は。』の劇伴の話が舞い込んでいたのは奇跡のようなタイミングとしか言いようがありません。この話が無かったらRADWIMPSは本当に失くなっていたかもしれません。

『人間開花』は"第2のファーストアルバム" という言い方をされていますがその通りだと思います。RADWIMPSがインディーズ時代に出したファーストアルバムから13年という月日が経ち、RADWIMPSは再びスタートラインに立ったみたいです。これは原点に帰ったと言いたいわけではありません。この『人間開花』が第2の原点としてRADWIMPSを次の10年へと駆り立てる作品になっていく気がするのです。洋次郎さんがインタビューでこんな発言をしています。『このアルバムは肯定ですね。今までの自分とバンドと人類の肯定』これを聞いたときに思わず泣きそうになりました。このブログでも何度も言ってきた肯定という言葉。これこそがこのアルバムの一貫したテーマなのかもしれません。『×と○と罪と』がRADWIMPSがこれまでのやり方で辿り着けた最高峰のものだったからこそ、この作品はシンプルな方向に一気に振り切れたのだと思います。アルバムの空気感がそう思わせてくれるのです。聴いていて閉塞感のない風通しの良い仕上がりになっています。このアルバムをかなり肩の力が抜けた自由な状態で作れた喜びが音源からも伝わってきます。メンバーが口を揃えて「今までのレコーディングで一番楽めた」と言えるのはメンバーが4人から3人になったことで、バンド内の結束と信頼が大きくなったからなのだと思います。
閉じたバンドであり続けたRADWIMPS。それがRADWIMPSが唯一無二と言われる理由であり、魅力でもありました。これまでの楽曲達もこの閉塞感だからこそ生まれてきたのだと思います。そしてこれからもそうなのだろうと僕は漠然と考えていました。でもRADWIMPSは違いました。野田洋次郎さんの映画主演、ソロ活動、プロデュース業、『君の名は。』の劇伴制作、初の対バンツアー、地上波での初パフォーマンス……精力的な活動の中でRADWIMPSは着実に開花していたのです。そこで育まれた全てが見事絡み合い必然的に産み落とされたのがこの『人間開花』であり、堂々とRADWIMPSは新境地を開拓したのです。 ここにいるのは全く新しいRADWIMPSです。いや、これまでの10年間をしっかり踏襲したうえで、新しい方向に歩み始めたRADWIMPSです。奏でられた音は過去最高に真っ直ぐで、澄み渡り、光り輝いて僕のもとに届きました。しっかりと受け止めました。このブログは僕が受け取ったメッセージを淡々と文字に起こしたまでです。最後まで読んで下さり本当にありがとうございます。『人間開花』はRADWIMPSの音楽を求めている全ての人の心に届く名盤であったと断言します。そして今年の2月からスタートするアルバムを提げてのライブツアー『 RADWIMPS Human Bloom Tour 2017』が素晴らしいライブになるという事は容易に想像できます。生まれ変わったRADWIMPSをこの目で見れる日が待ち遠しいです。(やまだ)

アルバム『人間開花』特設サイト