今年の7月を以て当ブログ『夢番地日記』が開設から5年を迎えた。高校3年生の初夏という本来であれば受験勉強に傾注すべき時期に開設したこのブログでは今日に至るまで本数こそ多くないが音楽コラムを中心にライブレポートやディスクレビューなど様々な記事を投稿してきた。17歳からの5年間という自分の人生に於いて最も流動的でセンシティブな期間に綴ってきたせいか、今読み返すと文章の書き方や主軸となる音楽観にそれなりの変化を垣間見る。その当時の自分が音楽に対して何を想い、どのような向き合い方をしていたのか綴った備忘録。当時、何の気無しにタイトルにつけた“日記”というただの記号が、5年経った今やっと“日記”としての意味を持ち始めたように思える。

そんなただの個人ブログを今日まで更新し続ける事が出来たのは読者の方々の存在があったからに他ならない。確かに文章を書くことは好きだが、きっとその一点だけでは5年もこんな活動を続けられなかった。読者の方の「良かった」のその一言にどれだけの僕が救われて来ただろう。僕の中だけでは本当の意味でブログを書く楽しさは生まれ得ない。そこに読者の“あなた”がいて初めて成立するのだ。ブログを読んで下さった全ての方に感謝を申し上げます。

兎にも角にも当ブログは5周年を迎えた訳だが、本稿ではブログ開設5周年を記念して行われた初の対談企画の模様をお送りする。第1回のゲスト(第2回の予定はないが念の為)としてお呼びしたのは僕とは中学時代からの付き合いである“猫背”さん。彼は取り分けネットで目立った活動をしている訳ではないのだが、今年の3月に自身のnoteで投稿したRADWIMPSに関する記事が「今日の注目記事」に選出されるなど多くの反響を呼んでいた。そんなRADWIMPSに造詣の深いリスナーである猫背さんを招いての対談は6月下旬に都内某所にてコロナウィルスの感染対策が為された状態で行われた。彼等のCDやインタビューが掲載された雑誌など膨大な資料を眺めながらの対談ーーお互い慣れない対談だった為に若干お見苦しい点もあるが、非常にディープな内容のものなったのではないかと思う。是非。


凄いバンドいるなと思ったけど表現が振り切り過ぎててファーストインプレッションは正直あまり良くなかった(やまだ)



本日はRADWIMPSのリスナーをお呼びして当ブログで対談企画というのをやっていくんですけど、どうぞ宜しくお願いいたします




はい、お願いします




では本日この企画をするにあたって何故、猫背さんを呼んだのかという話からなのですが。僕がRADWIMPSを聴き始めたのは2014年前後ですけど、僕の周りで最初にRADWIMPSを聴き始めたのが猫背さんで。まずはざっくりで良いんですけどRADWIMPSを知ったきっかけを訊かせて下さい




どのタイミングで知ったかって明確には覚えてなくてぬるっと気が付いたら知ってた。多分「君と羊と青」 ('11)とかで名前くらいは知ってて。俺は小5、6からウォークマンを持ってて、YUIとかポルノグラフィティとか小学校低学年からずっと聴いてたんですけど…そのくらいの時期でウォークマンのジャンルでアーティストを分ける機能があるじゃん?ポップとかロックとかヒップホップとか




あー、ありますあります




それで当時はポルノとかレミオロメンとか、あとあの時期はチャットモンチーとかニコタッチ(NICO Touches the Walls)とか聴いてたと思うんだけど、それでロック分類されるアーティストが多いなという所から「自分もしかしてロックが好きなのか?」と思って、そういう人達をYouTubeとかで聴き始めたのが小6くらいで。だからそのくらいの時期に名前は知ってた。で、リアルタイムでちゃんと聴こうってなったのは「ドリーマーズ・ハイ」 ('13)




「ドリーマーズ・ハイ」という事は2013年ですよね




そうそう。新曲が出ますっていう風になって「あ、そうなんだ。じゃこの機に聴いてみようかな」ってなって。それでその日から明確にRADWIMPSを意図的に聴き始めた



それで「ドリーマーズ・ハイ」というあの1曲から一気にのめり込んでいったんですか?



と言うよりはこれはきっかけに過ぎなくて、そのタイミングで良い曲だと思ったから古い曲から時系列に沿って年代順に曲を聴いていこうとした日があって、その日に初期の「おとぎ」 ('05) のMVからYouTubeで見始めて「オーダーメイド」 ('08)に辿り着いて、それがもう完全にハマると言うか、沼に1個ハマったタイミングだった




うんうん




それで暫くはMusic Videoの曲を当時中学生だから、学校から帰ってきて家のパソコンで聴きながら良いなと思うという感じだったんだけど、今度『×と○と罪と』 ('13)と言うアルバムが出るっていうタイミングでちゃんとアルバムを借りようと思って、TSUTAYAでこれまでの旧譜と一緒に全部借りてみたいなことをして、そこもだからまた一段深くハマったタイミングであるから…2013年の12月かな




なるほど。だから僕はその年に「五月の蝿」 ('13)を猫背さんから教えて貰って。凄いバンドいるなと思ったけど表現が振り切り過ぎててファーストインプレッションは正直あまり良くなかった (笑)




いや、そこはね悪かったと思ってる(笑)でも散々言ってるけどあの時の衝撃って「これを出来る人たち凄くねえか」っていう、内容云々というより。俺はもうこの時期はそこそこ聴いてたから全体的な知識がある上で凄い飛び道具が出てきたから




やっぱりね意地が悪いですよ(笑)ただ羨ましいけど僕はその衝撃が分からなかったから。それこそ初期から聴いてる人は野田洋次郎が如何に“君”という存在に対して深い愛情を示してきたのか見てきたでしょうし「五月の蝿」ではその根底から揺らいでるから




うんうん。それで同じタイミングかな?「ラストバージン」 ('13)っていう曲が出て、それは俺が短い期間ながらに構築してたRADWIMPSのイメージに近い曲で。「五月の蝿」はそのレールを大きく外れてた




だから僕みたいな「五月の蝿」から知ってしまった人間は「恋人にめちゃくちゃヘイトをぶつけて溢れたはらわたで縄跳びするとかヤバいじゃん」っていう悪い印象をどうしても抱いてしまうと思う




申し訳なかったです…(笑)




でも高校に上がってからホントに周りにRADWIMPSが好きな人が多くて、聴かざるを得ない環境になってしまって。でもそこで「いいんですか?」 ('06)や「05410-(ん)」('06)とかを聴いてマイナスだったイメージが変わって、気が付いたら真剣に聴くようになってた




良くも悪くも1つの事だけをやってる人達っているじゃない?もう一面だけで全てがわかるというか…その角度で言うとRADWIMPSって何重っていう多面体なんだけど、その中のホント端っこの一面だけをあなたに見せてしまったのが…せめて「ラストバージン」と一緒に聴かせてたら違ったのかも知れない(笑)



あの歌詞は歪にでも確実に自分の半径2メートル以内の世界に侵入してくる感じ(猫背)


これは音楽に於いては若干ナンセンスな質問かもしれないけど、猫背さんはこのバンドの何処にハマったんですか?




まぁ、歌詞だろうね(笑)




まあまあ、そうよね(笑)




もともと音楽を聴くにあたって歌詞は凄く気にするタイプだったんだけど、その中でもRADWIMPSの歌詞って異端じゃないですか。それこそ「オーダーメイド」を聴いたその日に「有心論」 ('06)とか「ふたりごと」('06)を聴いて、月並みな言葉だけれど衝撃を受けて。受けるじゃん?




受けます(笑)




「オーダーメイド」は人生でもそんなにないんだけど第一声から最後の一音まで一時も耳を離せないぐらいの衝撃で。何だろうな。あれを物語として捉えてもいいし、フィクションとして捉えてもいいし、でも自分にとっても、多分色んな人にとってもノンフィクション…現実と混じり合う部分がめちゃくちゃあって。自分で自分自身を創ったんだろって人によっては凄い背中を押すことができて、その人を抱き締めることもできて、ただ自分の話をしてるだけでもあって。あの歌詞は歪にでも確実に自分の半径2メートル以内の世界に侵入してくる感じ




誤解を恐れずに言わせて貰うとこの時期の野田洋次郎ってリスナーにほぼ目というか意識を向けてないと思うんだけど




ああ、うんうん、そうだね




だから「オーダーメイド」は自分が生まれてくる前から精査していくという物凄いプロットの曲で。本当に自分たった1人の話なんだけれど、それが全人類の共通事項を説く普遍性を持ってるっていう




ちょっと宗教の話を交えるとややこしくなるから適さないかもしれないけれど、あの曲がやってる事って古今東西の教典に共通するんじゃないかなと思うところがあって。ヒトの成り立ちを解き明かそうとしてそれが教えになるっていう側面って、野田洋次郎としてはミクロを見てることがマクロを捉えていて、そこに共感する人間が沢山いて。システム的なとこが教典チックだなと思う 




なるほど。確かに流布の仕方というか構図は宗教的かもしれない




RADWIMPSの歌詞って基本的に難しい言葉は出てこなくて、どれも知ってる言葉だし、知ってる感情なんだけど、感情と言葉を繋げる回路が見たことがない回路をしていて。でも凄く普遍的な感情ではあるから知ってるなってなるし。二次関数を足し算、引き算、掛け算、割り算だけで表現する人みたいな感じ(笑)




あの歌詞はホントに凄いですもんね。スガシカオがMr.Childrenの桜井さんにRADWIMPSを勧めた時の触れ込みが“歌詞が凄い”って。“ロボット掃除機が出たかのような言い方で教えてくれた”なんて話があったけど、本当にその通りだなと。当時は中学生よね?




そうそう、中学生




だから中学生が見てもこの歌詞は衝撃的だし、スガシカオや桜井和寿といった一流のミュージシャンですら衝撃を受けてるし、ここに色んな雑誌がありますけど特に初期の方は特にライターさんが皆んな「歌詞が凄まじいバンド」って。まぁパンクをやってたり、レゲエ寄りの事をやってたりとサウンド面の評価も高いけれど、最後は歌詞が凄いという所に落ち着くという




だから一貫して逆に評価できたのが歌詞だったのかもしれないけれど、あまりに毎回毎回違うことをやってて。ただでもやっぱそれは形式的な所で…内容を見てもあの歌詞って凄くて。しかも当人がそれを意図してないっていうのもまた気持ち悪い(笑)




そうそう。奇を衒った歌詞を書こうと当人は全くしていないし「これを言ったら世間が驚くぞ」と言う書き方も絶対にしてなくて、本当に自然と溢れ出たものがあの歌詞っていう 



それこそミスチルの桜井さんってそれを意図的にするじゃん?韻を踏んでみたりとか比喩暗喩を使ってみたりとか。でも野田洋次郎の歌詞ってまたそのレベルではない立ち込めるものが(笑)




なんて言えば良いんだろな…(RADWIMPSの歌詞は)人工的な臭いがしない無添加な作りというか、それがこの人の純心から湧き出てるのが分かる。奇を衒ってはいないんだけど物凄く歌詞は異端、それなのに普遍性がちゃんとそこにあったからこそリスナーを取り込むスピードが速かったんだと思う




それは間違いない



3.11を語らずにRADWIMPSを聴き続けるというのが自分の中で気持ち悪かった(猫背)


猫背さんは今年の3月にnoteで『3月11日のRADWIMPS』と言う記事を書いていて、現段階でいいね数が120を超えていたり、noteの“今日の注目記事”に選出されたりとかなり反響が大きかったと思うんですけど、これを書こうと思ったきっかけってあるんですか





本当に一番最初は自分がただ気持ちよくなりたかった。自分の中での総括というか。10年しっかり見て来た訳じゃないから、それこそリアタイで見たのって「カイコ」 ('14)だから…でこの曲もRADWIMPSを好きになるにあたって大きな意味がある曲だったし…そこを蔑ろにしたくないっていうか…ただそれを俺1人でやってもしょうがないから、どうせだったら人に見せて大丈夫な形に纏めてみようかなっていうところから始まって




それぞれ野田洋次郎の心境がモロに反映されて来た1曲1曲に焦点を当てて、逐語的に歌詞を精査して考察していくというカロリーの高い作業だったと思うんですけど




RADWIMPSにとって震災ってデカいじゃないですか。途轍もなく。だからこそ10年間、休みもあったけど曲を発表し続けて、震災と向き合い続けてって常に彼らの中にあり続けたものだと思うから…3.11を語らずにRADWIMPSを聴き続けるというのが自分の中で気持ち悪かったから作業自体は苦じゃなかった




書きながら自分を納得させていく感覚?




そうそう。改めて自分が理解する為に必要だったし、新しく納得したこともあったし




その“新しく納得したこと”って具体的に何だったんですか




書き始めるにあたって結論が1個あって、それは明確にRADWIMPSにとって震災の意味合いというか重きを置く部分が変化してるということで。それを結に据えて論を展開していこうと思って。震災というドキュメントであったものが、徐々に時間が経つにつれて震災そのものを切り取るんじゃなくて、震災が起こった瞬間から地続きの世界そのものを3月11日という日に切り取るという形に変わっていくという構図を論じたくて




それ意外と言われたら「ああ」てなるけど、そこを意識的に聴いてきた人って少ないと思うんだけど




そうかなぁ?結構だって…どうなんだろ。ただ俺は数年前からそこを気にしてたから 




だからあの記事の中で“曲を発表するという事が目的から手段になっていく”という見解が述べられていて、あの箇所を読んで多くの人がハッとさせられたんじゃないかなと思う 




新しく納得したというか、その内情というか、ちゃんと追っかけて見たら「あっ、ここの出来事がこれに後から影響しているよな」みたいなのが分かるし、自分の中にあった物の答え合わせができた事が新しく納得したことかな




なるほど。本当に一読する価値のある記事だと思うので、色んな人に読んで頂きたいと思ってるんですけど、ブログの話が出たのでそれに関連して、僕のこの『夢番地日記』が今年で5周年を迎えまして、この対談も周年企画のつもりなんですけど、なんか僕のブログについて言いたいこととかあります? 




えええ⁉︎ なんかありますもなにもまず書けや。書いてから言えや(この対談時、当ブログは4ヶ月間全く記事を更新してなかった)



いやいや、そこは本当にすみません(笑)




「RADWIMPSは変わった」という意見を目にするけど、リスナーに訴えかける姿勢は全く変わってないというか寧ろ強くなってる(やまだ)



まぁでも強いて言うなら当時も割とすぐリアクションしたと思うけど「シュプレヒコール」 ('12)の記事は凄く良いなと思ったかな




あぁ、あれは割と良い反応を頂けた記事でして。 あの記事を書けたことは当時高3の自分にとっては一つの自信にはなったんだけど、それは内容云々と言うよりコラムという形式での発信にこれで味を占めたということで。このコラムの前にサザンオールスターズの「TSUNAMI」に関する記事を書いたんだけど、それは冗長にも取れてしまうような長ったらしいブログで。テーマがテーマなだけにかなり頭を悩ませてあの記事を書いたからこそ、その反動でこういうコラムが生まれたのかなと今は思う。「シュプレヒコール」のコラムも内容は大して良くは無いんだけど、コラムという形式を取ったことで一つのターニングポイントにはなりましたね



なんかこのコラムは発信力の正しい使い方だなと思った(笑) やっぱ俺は「シュプレヒコール」って曲が凄く好きだし、ここ数年は特に聴きたくなる感じじゃないですか、世の中の動きが



うん…だから猫背さんは別にこの記事が好きって言うより、ただ単に「シュプレヒコール」が好きなだけなんじゃないかと思うんだけど



今それ言いながら思った(笑)この曲って言葉にし辛い内容だと思うんですよ。それを2012年というタイミングでメッセージとして打ち出せたのは野田洋次郎の明確なアンチテーゼというか。またここに戻ってくるけど『×と○と罪と』のフェーズの入り口の感じはする



うんうん。そういう世の中の不条理に蹂躙された者の嘆きであり、苦しみであり、だからこそこの曲が持つ訴求力って本当に強くて。さっき「オーダーメイド」の時期では洋次郎さんの意識がリスナーにあまり向いてないって話したけど、ここからそこの意識が強くなってく 




リスナーが問いかけられ始めてるんだよな、RADWIMPSに。ただもう自分らが好きな物を作るっていうだけじゃなくて、波紋を作るための一滴を落とす物になっていってる




2016年以降は特に悪い意味で「RADWIMPSは変わった」という意見を目にするけど、リスナーに訴えかける姿勢は全く変わってないというか寧ろ強くなってる。最近で言うと『ANTI ANTI GENERATION』 ('19)に収録された「PAPARAZZI〜*この物語はフィクションです」とか『夏のせい ep』 ('20)に収録された「新世界」とか、個々の好悪は別としてバンドの中で重要な立ち位置になってますよね




うん。過度に政治的な発言をして欲しいと言うわけでは全く無いけど、今そういう表出の仕方を楽曲の中でしてるのって、野田洋次郎と言う人間が凡ゆることを赦さずに来たものを…あなたが昨年に書いてた記事のさ、“君”を通して世界を見る構図から“君”と横並びになって世界を見る構図って言うものの表れなんだろうなっていう。やっぱり野田洋次郎に「世界からはみ出してしまった自分」という意識があったからこそ唯一の居場所として“君”を求めて、“君”を世界と定義した訳じゃ無いですか。その構図が横並びになったっていうのは、異端として世界の中にある自分を認めるに至ったという所がデカいと思うから。だから今は横にいる誰かと、 あるいは1人だけであろうとも、世界に投げかける事が出来るし、訴える事ができるし




本当にアルバムを出すたびに世界に対する視座を高めていったからこその到達点だと思う。そういう世界に対する洋次郎さんの意識の変化を見ていく楽しさもRADWIMPSにはありますよね




そう。RADWIMPSって如何しても野田洋次郎で動くからさ、彼の理論武装の手段という側面も絶対にあって。野田洋次郎がRADWIMPSを見限ったらRADWIMPSに出来ることって無くなってしまう訳じゃない?でもそれをせずに時には何かを捨てながら、何かを諦めながら今もここまでバンドは続いてきてるし、それに追随するリスナーも沢山いるし。彼らの音楽に世界っていう物を見る視座があって、そこにちゃんと納得できる状態が続いてくれるとありがたいんですけどね




自分の中でRADWIMPSの音楽というか存在がその指標であり続けて欲しいっていう、それはこれからの展望ですよね




自分の正しさの指標とこの人の歌の正しさがズレてしまったら、その時が聴けなくなってしまうタイミングなんだと思う…それは仕方ないんだけど。 でも今は曲を聴いてちゃんと良いなって思えるから救いがあるし聴いていられる。そこだけは本当にブレないで欲しいですね




■ 猫背
1998年生まれの一般人。元気に生きているので探さないでください。